福井・富山編(37):藤野厳九郎記念館(16.3)

 まずは木造の主屋へ、藤野先生の人柄を偲ばせるような飾り気のない質素な部屋でした。彼が来ていた和服や、令息が遊んだ玩具などが展示してありました。
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 そして新館の展示室へ。藤野先生が使用した医療器具や魯迅の成績表などを拝見。
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 胸が熱くなったのは、仙台医学専門学校の授業で筆記したノートが展示されていたことです。藤野先生による懇切丁寧な添削の様子が、手に取るようにわかります。『魯迅選集 第二巻』(岩波書店)所収の「朝花夕拾」(1927年)中の掌編『藤野先生』にはこうあります。
 「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
 「少しできます」
 「持ってきて見せなさい」
 私は、筆記したノートを差出した。彼は、受け取って、一、二日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるように、と言った。持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終りまで、全部朱筆で添削してあった。多くの抜けた箇所が書き加えてあるばかりでなく、文法の誤りまで、一々訂正してあるのだ。かくて、それは彼の担任の学課、骨学、血管学、神経学が終るまで、ずっとつづけられた。(p.246)
 この後、魯迅が試験をクリアしたのは、藤野先生がテストの内容を事前に彼に教えているという噂が流れ、日本人同級生からのいやがらせがなされます。結局、友人の尽力で噂は立ち消えとなりました。中国に帰った後、魯迅はこのノートを三冊の厚い本に綴じ、永久の記念として大切にしまっておいたのですが、引越しの時に運送屋がなくしてしまったと本作の最後に記しています。しかし展示品の解説を読むと、1951年に、彼の故郷・紹興で発見されたとあります。嬉しいですね、彼岸の周樹人もさぞや喜んでいるでしょう。なおこのノートは複製ですが、原本は中国北京魯迅博物館に収蔵されており、中国の一級文物(国宝)とされているそうです。日中の架け橋となったこのノートを国宝に指定するところに、中国政府の高い見識を感じます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-10-21 07:24 | 中部 | Comments(0)
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