福井・富山編(41):丸岡(16.3)

 それでは丸岡へと向かいましょう。幸い直通のバスがあり、一時間弱で丸岡に到着しました。なお次の目的地、永平寺までのバスにここから乗れるので発車時刻を確認。一日四本ですが、11時58分発のバスがありました。よろしい、それまでにこのバス停に戻りましょう。地図がないので、お城はどこにあるか地元の方に訊こうとうろうろしていたら、堀の向こうに天守が遠望できました。よろしい、あちらに向かって歩きましょう。途中にあったのが、丸岡城を模したのでしょうか、石屋根に鯱が乗った二階建てのド派手な電話ボックス。おまけに時計までついております。このお金を福祉や教育に使えばいいのになあ、利権の匂いがするなあ、と思いつつ歩を進めました。
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 そして現存十二天守の一つ、丸岡城に着きました。やった、これで現存十二天守はすべて制覇しました。まずは福井県坂井市Web旅ナビから、丸岡城の歴史について紹介しましょう。
 丸岡城築城前、この辺りの拠点は丸岡城より東方約4kmのところにあった「豊原寺」でした。豊原寺は、三千坊ともいわれる宿坊が立ち並ぶ大きな門前を有していました。
 1573年、織田信長は、当時越前を治めていた戦国武将「朝倉義景」を討ち、都があった一乗谷を焼き払いました。すると、豊原寺をはじめとしたこの辺りの一向宗の勢力が増したため、1575年、再度織田信長が「越前平定」のため越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗の拠点を焼き尽くしました。
 その後、柴田勝家の甥「柴田勝豊」がその豊原の地に居を構えましたが、翌1576年「まるこの岡」と呼ばれていた現在の丸岡城の場所に城を移しました。
 江戸・明治・大正と丸岡の町のシンボルだった丸岡城は、昭和9年には国宝の指定を受けました。しかし、昭和23年の福井大震災により天守閣が倒壊してしまい、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。
 全国各地には、城やそれに関係する場所がいくつもありますが、現存する天守閣は全国で12しかなく、北陸では、丸岡城のみ。この丸岡城は、現存する最古の建築様式を有しているとされ、戦後に定められた「文化財保護法」で、天守閣は国重要文化財の指定を受けています。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-10-25 06:26 | 中部 | Comments(0)
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