余談です。先日、『孤独な帝国 日本の1920年代』(ポール・クローデル 草思社文庫)を読了しました。フランス駐日大使にして詩人、そして彫刻家
カミーユ・クローデルの弟の
ポール・クローデルの手記ですが、その巻末の解説で、平川祐弘氏がこう述べられていました。後学のために引用します。
永井荷風は、森鴎外はクローデルの如く行動人homme d'actionであり文人homme de lettresであると讃えたが、中野重治は典型的なひがみ左翼で、官吏であり文学者であるような人を頭ごなしに罵る悪癖があり、詩《ポール・クローデル》でこう諷刺した。
ポール・クローデルは詩人であつた
ポール・クローデルは大使であつた
そしてフランスはルールを占領した
フランスの百姓は貯金した
それを金持が取りあげた
そして金持はマリアを拝んだ
そしてポール・クローデルはマリアを拝んだ
駐日フランス大使になつた
そしてポール・クローデルは詩をかいた
ポール・クローデルは詩をかいた
ポール・クローデルはお濠をまはつた
ポール・クローデルは三味線をひいた
ポール・クローデルはカブキを踊つた
ポール・クローデルは外交した
おゝ そして
つひにある日
ポール・クローデルが
シャルル・ルイ・フイリツプを追悼した
おゝ 偉大なポール
大使で詩人であるクローデル
『われらの小さなフイリツプ』が
彼の貧しい墓の下でいふだらう
『ポール・クローデルは大使になつた』 (p.386~7)