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山町筋は、慶長14年(1609)に加賀藩第二代藩主の前田利長が、高岡に隠居城と城下町を建造したときに北陸道に面する商人の町として開かれました。 その後、明治に入り、明治33年(1900)に高岡の大火がおき、市街地の約6割が焼失しましたが、その前年(1899)に施行された「富山県建築制限規則」により、山町筋などの繁華街については防火構造の建造物とすることが義務付けられていたため、当時の防火建築物である土蔵造りの建造物が建築されました。 山町筋の土蔵造りは、二階建、切妻造り、平入、瓦葺の町屋で、黒瓦葺きの屋根と大きな箱棟、黒漆喰塗りの外観、二階窓に付けられた土扉など、重厚な外観をもつ反面、柱頭をアカンサスの葉などで装飾した鋳物の鉄柱、隣地境のレンガの防火壁など、華麗な装飾の中に洋風の意匠を取り入れていることが外観の特徴となっています。内部は、外観の重厚さとは対照的に繊細な数寄屋風の仕上げとし、主屋と土蔵の間にある中庭は建物と見事に調和し、市街地にあって緑の多い静謐な空間をつくりだしています。
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