とある雑誌に、冠雪を頂いた
富士を映す、水を張った田んぼの写真が載っていました。綺麗だなあ、見てみたいなあ。岩波駅の近くで撮影したとのこと、インターネットで調べてみると御殿場の近くです。そういえば御殿場には行ったことがないなあ。こちらも調べてみると、岸信介や松岡洋右の別荘、秩父宮記念公園、富士を一望できる平和公園があるそうです。よろしい、日帰りで行くことにしましょう。というわけで、新緑にあふれる2016年5月上旬、御殿場とその周辺を散策してきました。
池袋から湘南新宿ラインに乗って大船へ、東海道本線に乗り換えて国府津へ。そして御殿場線に乗り換えて岩波駅へと向かいます。途中の足柄駅からは富嶽がそれはそれはクリアに見えたのですが、好事魔多し、御殿場駅のあたりでは下方から雲が湧き出てきました。岩波駅に着くと、富士はもうすっかり雲の中に埋もれ、天辺だけがかろうじて顔を出しています。いやはや、無念。ま、気を取り直して歩を進めましょう。駅の近くには「深良用水(箱根用水)の沿革」という解説板がありました。

後学のために転記します。
深良用水は、箱根の芦ノ湖を水源とし裾野市・御殿場市の一部長泉町・清水町の灌漑用水として使用されている。郷土の大部分は富士山や愛鷹山から噴出した火山灰や砂礫に覆われていて水田が少なかった。
深良村の名主であった大庭源之丞は、かねがね箱根山に満々とたたえる芦ノ湖の水を農地に導きたいと考えていた。駿府出身で新田開発の経験もあった江戸浅草の商人友野与右衛門等に工事をお願いした。
工事はこの二人が中心となり、寛文6(1666)年に工事を始め、寛文10(1670)年に全長約1280メートルの隧道が完成した。深良側と芦ノ湖側の両側から掘ったと考えられ、取り入れ口と出口の高低差は約10メートル、中ほどの結合点には約1メートルの段差があり、これが水流の強さを変えるための人為的な段差なのか否(ママ)は分からないが、大変高度な堀削(ママ)技術を有していたものと考えられる。
その後、いくつかの堰が造られ、市内の水田に潤いをもたらしている。
大正11(1922)年にこの水を利用して水力発電所もでき現在に至っている。
本日の二枚、上は足柄駅から見た、下は御殿場駅から見た富士山です。
