御殿場編(7):松岡別荘陶磁器館(16.5)

 東山旧岸邸から、自転車に乗って数分のところにあるのが松岡別荘陶磁器館、外務大臣を勤めた松岡洋右の別荘です。奇しくも「二キ三スケ」のうちの二人の別荘が近接しているのですね。もちろん二人は旧知の仲で、しかも血はつながっていないものの姻戚であるそうです。岸は、松岡の別荘を何度も訪れて御殿場が気に入ったとのことです。
 まずは日本大百科全書(ニッポニカ)から引用します。
松岡洋右 (1880―1946)
 大正・昭和期の外交官、政治家。明治13年3月4日山口県に生まれる。1893年(明治26)渡米し、苦学してオレゴン州立大学を卒業。1904年(明治37)交官となり、中国などに勤務。満蒙への勢力拡大に関心をもつようになり、寺内正毅内閣の時期には首相・外相秘書官としてシベリア出兵を促した。1921年(大正10)満鉄理事となる。1927年田中義一内閣により副社長(のち副総裁と改称)に任ぜられ、内閣の「満蒙分離政策」を支持して満蒙五鉄道建設を図ったが、内閣倒壊で挫折。1929年満鉄を去り、1930年政友会代議士となった。幣原外交を非難・攻撃し「自主外交」を唱え、満州事変後の1933年、国際連盟特別総会(ジュネーブ)に日本首席代表として出席、熱弁を振るったが、「満州国」が否認されたため退場した。1935年満鉄総裁となり、軍部と結んで華北侵略政策を進め、1940年第二次近衛文麿内閣の外相となり日独伊三国同盟を結び、1941年には日ソ中立条約を結んだ。敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯に指定され、昭和21年6月27日獄中で病死した。
 外観はハーフ・ティンバーに白壁の、瀟洒な山荘風のつくりです。それでは中を見学することにいたしましょう。館長らしきご老人がにこやかに出迎えてくれましたが、聞いてびっくり、松岡洋右の四男、志郎氏でした。一階は陶磁器の展示、二階に松岡洋右に関する品々が所狭しと並べられていました。
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 さて、日独伊三国同盟を結び、対米戦争への扉を開いた松岡外交をどう評価すべきなのでしょうか。『近衛文麿 教養主義的ポピュリストの悲劇』(筒井清忠 岩波現代文庫)から引用します。
 いわゆる松岡外交とそれをめぐる近衛首相の態度の評価は難しいところがある。すでに述べたように三国同盟は二重の意味でナチス・ドイツの詐術にかかった外交であった。松岡・近衛でなくても引っかかったかもしれないが、やはりこの二人だったから引っかかりやすかったといえよう。そして独ソ戦の開始を見抜けずに結んだ日ソ中立条約も日米交渉の停滞も松岡の責任であった。
 この二人の結果責任の大きさはいうまでもない。しかし、松岡が当時このような外交を実施することで国民的人気を博していたことも事実である。「彼のねらった後盾の一つは(中略)民衆の世論の力だった」「世論政治家をもって自任した松岡は、大衆の人気をあつめることにつとめた。事実、彼は人気とりが上手で、当時の政治家中彼ほど世間に人気のある者はなかった。(中略)彼の行くところ、沿道人垣を築くことは珍しくなかった」とは、側近(外務省顧問)として松岡外相を支え続けた人(斎藤良衛)の言である。松岡の演説会は大盛況だった。特に欧ソ歴訪の旅を終えて帰国した後の日比谷公会堂での第一声は「近衛をはじめ当時の政治家ひどくこきおろし」人気は高まった。
 そして、松岡はついには国民的人気を背景に近衛内閣に変わる松岡内閣まで構想するに至っていた。
 松岡のアクロバチックな外交は国民の好むところだったのである。それは指導者と大衆の合作によるポピュリズム外交の典型だったのであり、近衛による松岡の更迭は一人のポピュリストによる他のポピュリストの放逐なのであった。ただし、この時点では、残ったポピュリストはもう現実政治家としてそのポピュリスト性を薄めつつあったのではあるが。(p.239~40)
 "指導者と大衆の合作によるポピュリズム外交"、覆轍を踏まないようにしたいものです。「嫌韓」を煽る政府、政府にあおられて「嫌韓」を叫ぶ人びと、その支持を得るためにさらに「嫌韓」を煽る政府。かなり不気味な雰囲気の今だからこそ。
 そしてA級戦犯に指定されて獄中で死亡した松岡洋右と、A級戦犯容疑者となるも釈放され首相となった岸信介。二人の明暗を分けたのは何だったのでしょう。やはりアメリカの*を舐めたか舐めなかったかの違いなのかな。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2020-01-11 06:28 | 中部 | Comments(0)
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