第五福竜丸と五輪

 ある日、購読している「東京新聞」をポストから取り出したら、一面の見出しが目に飛び込んできました。驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機、都立第五福竜丸展示館を、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館するそうです。以下、当該記事を引用します。
五輪パラ期間・前後 第五福竜丸館休館 競技会場すぐそば (「東京新聞」 2020.2.9)

 米国によるビキニ環礁水爆実験で一九五四年に被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)が、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館する。展示館がある夢の島公園はアーチェリー会場となり、警備で園内の通路が封鎖され、展示館に行くのが困難になるためだ。核廃絶に取り組む市民からは、国内外から観戦客らが訪れる絶好の機会に、核兵器による被害の悲惨さを伝えられないことを惜しむ声が上がっている。(北條香子)
 展示館は七六年に開館し、船の実物を展示。昨年四月に改修工事を終えてリニューアルオープンしたばかりだ。入館無料で、公園を訪れる人らが気軽に立ち寄って核による被害の実態を学ぶ場となっている。
 五輪・パラリンピックでは、展示館南側にある陸上競技場でアーチェリーの本選、同じく南東のアーチェリー場で予選が開かれる。
 展示館が休館するのは七月三日から。五輪開会式は七月二十四日だが、大会組織委員会の広報担当者によると、五輪の開会式前から競技会場周辺を封鎖して危険物などがないかを細かく確認し、安全な状態を保つ必要があるという。公園内にある熱帯植物館も同様で、いずれもパラリンピック閉会式翌日の九月七日まで休館する。
 都オリンピック・パラリンピック準備局の担当者は「競技会場となるアーチェリー場は既に工事で使えないが、展示館や植物館などは大会直前ぎりぎりまでアクセス路を確保する努力をしている」と話す。展示館を管理運営する公益財団法人「第五福竜丸平和協会」は休館中、展示パネルなどを全国に貸し出す方針。
 戦争と平和の問題を考える連続講座を都内で開いている立川市の元高校教員竹内良男さん(71)は「セキュリティーの問題として片付けていいのか。展示館のすぐ近くが競技会場になるからこそ、開館するべきだ」と求める。
 五輪・パラ期間中、競技会場に近接などする他の公共施設の対応は分かれる。
 カヌー・スラローム会場が隣接する葛西臨海公園サービスセンター(江戸川区)によると、大会期間中、葛西臨海水族園などは営業する。重量挙げなどが行われる東京国際フォーラム(千代田区)内にある相田みつを美術館は、六月二十二日から十月五日まで休館する予定。
 何という愚行でしょう。核兵器や放射能の恐ろしさを世界中に発信する、またとない好機だというのに。深読みすれば、宗主国であるアメリカの立場を擁護するために、この事件をなかったことにしたい/忘れてほしいという政権中枢の意図があるのではないか。
 さらにぜひとも指摘しておきたいのは、これは単に第五福竜丸が被曝したという事件にとどまりません。『核の海の証言 ビキニ事件は終わらない』(山下正寿 新日本出版社)によると、他にも1000隻を超える漁船や貨物船が被曝したと推定され、さらにアメリカ政府は、ロンゲラップ島民をわざと避難させずに被曝させ放射能が人体に与える影響を研究するという人体実験を行いました。(p.140~3) また日本政府は、原子炉や原子力技術をアメリカから得たいがため、1955年1月に「見舞金」200万ドル(7億2000万円)を受け取り、アメリカの法的責任は一切問わないという政治決着がなされました。(p.114) この見舞金の一部は第五福竜丸乗組員だけに渡され、その結果、被災した他の船員や漁業関係者から怒りや妬みを買い、二重の苦しみを背負うことになりました。これは他の被災船員から孤立させれば、「第五福竜丸事件」として処理でき、それ以上問題は広がらないという日本政府の策略ですね。結局、他の被災船に関する調査は行われず、「被爆者手帳」も支給されず、健康障害と高額の医療費に悩まされ、多くの方がガンで亡くなりました。(p.183) それに先立つ1954年12月、日本政府はマグロ放射能検査中止を閣議決定し、その結果マグロ漁船は、ビキニ・エニウェトク環礁近くの危険区域に、核実験期間中であっても進入して操業しはじめました。もちろん日米両政府による警告はありません。多くの漁船員が被曝し、後年にガンで亡くなる方が続出することになります。また汚染マグロは日本の港に水揚げされ、放射能検査を受けることなく食卓にのぼりました。その汚染マグロを一年間冷凍室に保管して、ハム・ソーセージにして販売した大手企業もあったそうです。(p.157~8)
 なお米国は、中部太平洋上でキャッスル作戦後に行った87回の核実験のうちほとんどが春季から夏季にかけて行ないましたが、この時期は、中部太平洋上のマーシャル諸島、日本、フィリピン、メキシコ、中央アメリカも雨季です。この時期に大気圏内核実験を行えば、これらの地域の放射性降下物は増える一方、米国の放射性降下物は減るという判断をしたのだろうと、山下氏は推察されています。(p.126)

 核兵器をより進化させて軍事的優位に立ち、そのために大量の被曝者が出るのを承知の上で数多の核実験を行なってきたアメリカ政府。その核の傘に入ってアジア諸国に睨みをきかせ、できうれば自らも核兵器を所有したいと欲望する日本政府。その両者の共犯によって引き起こされ、隠蔽されたのがこの事件の本質だと思います。とくに後者は、"世界唯一の被曝国"を売りにして国際的なイメージアップを図ってきたのですから、この事件に関心を持つ人が増え、日本政府が放射能被害をなかったことにしようとした事実が暴かれて流布されるのは困るでしょう。福島原発事故でも性懲りもなく同じことをしているのですから、なおさらです。山下正寿氏も、前掲書のなかでこう述べられています。
 ビキニ水爆実験で「死の灰」は成層圏に達して一年以上も北半球全域に降り、ストロンチウム90、セシウム137などの放射能汚染が続き、発ガン率(ヨーロッパ放射線リスク委員会統計、6500万人のガン、小児、胎児死亡)を高めた原因と言われている。特に、日本の小児ガン死亡率が核実験にそって高まり、1968年には戦前の七倍となっている。
 福島原発事故の放射能汚染による内部被ばくの影響を予測にあたって、この「キャッスル作戦」の記録とマーシャル諸島の被災者、ビキニ被災船員の健康調査分析が重要になるだろう。
 今後もっとも注意しなければならないことは、東電・政府などが「原発事故で死亡した人はいない」と強調し続けて、放射線被災との因果関係を消し去ろうとすることである。高いレベルの放射線に長期間さらされる危険性のある原発労働者、ガレキ処理労働者、農民、漁民、潜水夫などや、低レベルでも影響を受けやすい子どもたちに病状が出た場合に、専門医によって精密検査を実施することと、その後の健康追跡調査が求められる。これをしなければ、放射線被ばくによる大規模な「完全犯罪」を許し、ビキニ事件の二の舞となる危険性も考えられる。(p.231)
 五輪パラリンピック期間中、第五福竜丸展示館を休館とした主因はここにあると考えます。何も起こりはしなかった…

 過去に上梓した、第五福竜丸関連の記事を紹介します。焼津市歴史民俗資料館の「第五福竜丸コーナー」、乗組員だった大石又七氏の講演会、「原水爆禁止運動発祥の地」記念碑、岡本太郎作「明日の神話」、ベン・シャーン絵/アーサー・ビナード詩の『ここが家だ』、そして第五福竜丸展示館です。

 本日の一枚です。
第五福竜丸と五輪_c0051620_12472288.jpg

 訃報です。第五福竜丸の元乗組員、池田正穂(まさほ)さんが2月20日午後4時16分、胃がんのため静岡県藤枝市の病院で逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。氏は、この休館のことを知っていたのでしょうか。もし知っていたら、どんなお気持ちだったのでしょうか。いたたまれない思いです。
by sabasaba13 | 2020-02-24 06:15 | 鶏肋 | Comments(0)
<< 中澤誠氏講演会 信州編(11):長野(16.8) >>