「単一民族神話の起源」

 「単一民族神話の起源」(小熊英二 新曜社)読了。これは読み応えがありました。450ページもあるのですが、気がついたら「あとがき」。主題は、著者が以下のようにはっきりと述べています。
 大日本帝国時代から戦後にかけて、「日本人」の支配的な自画像といわれる単一民族神話が、いつ、どのように発生したかを歴史学的に調べ、その機能を社会学的に分析することである。
 日本人は単一民族であってほしい、その方が現在の自分の世界観に都合がよい、そうした気持ちを歴史に投影することから筆者は「神話」と呼ぶわけです。なるほど。私は漠然と、近代以降は「日本人は単一民族」であるという神話が一貫して根付いていたと思っていたのですが、違いました。台湾・朝鮮を領有したことにより、そこに住む人々を「日本人」として取り込むための日本人混合民族説が戦前は有力であったのです。日本人は、さまざまな民族を同化することによって誕生した… 強大になると混合民族論で外部のものをとりこみ、敗戦により植民地を失うと単一民族論で身を守るという動きがあると筆者は述べられておりますが、これは見事な要約ですね。そして日本だけでなく、ほとんどの国民国家で行われる民族起源の神話化について、こうまとめています。
 神話を求める心理の背景にあるのものは現在からの逃避である。自分が○○人であるだけで誇ってよく、相手が××人であるというだけで攻撃してよいと正当化してくれる神話をもつことは、非常に楽なことだろう。過去の神話化の本質は、他者とむかいあって対応をはかる煩わしさと怖れから逃避し、現在にあてはめたい自分の手持ちの類型を歴史として投影することなのだ。
 今現在わきおこっているナショナリズムを理解するうえで、この視点は欠かせないですね。要するに異文化をもつ他者と向かい合うのが面倒くさい/怖い/どうしていいか分からない、そのために自らと他者を単純に類型化してしまうということです。確かにその方が楽ですけれど。
 本書を読むもう一つの喜び・楽しみが、日本人論をめぐる幾多の知的営みです。モース、井上哲次郎、内村鑑三、坪井正五郎、久米邦武、喜田貞吉、高群逸枝、柳田国男、津田左右吉、和辻哲郎といった論者たちが、「日本人」という存在をどう考えていたのか。中でも高群逸枝についての記述には唸りました。当時における女性への圧迫は、中国をはじめとする外来思想の影響であり、古代日本の復活によってそれを乗り越えられると、彼女は考えていたのですね。

 「日本人」の定義についていろいろと考えてきました。例えば、父は日本人母はイギリス人で、日本国籍をもちオーストラリア在住、日本語を話せないジェーン・モリスさん(仮名)。在日朝鮮人二世で日本語しか話せない金文準さん(仮名)。いろいろなケースがありますが、言語・文化・容貌・血統などという要素を考えるとしっくりとくる定義はありません。結局、日本国籍をもつということしかないのかなと思っていました。しかし本書を読んで、「自分を日本人だと思いたがっている人」が日本人だという定義を思いつきました。いかが。
by sabasaba13 | 2005-11-17 06:08 | | Comments(4)
Commented by K国 at 2005-11-18 08:16 x
日本人ほどアジア地域のいろんな顔を持ってる民族はいないでしょう
中国や韓国のゴミが漂着するように、目的ある無しに関わらず
流れ着いた先が日本だった
同級生を見回しても、中国系韓国系東南アジア系(私はこちら系)モンゴル系とさまざまな顔を持ってます
いろんな血と、四季のある季節や生活環境が融合して今の日本人が出来上がったのでしょう、難民受け入れが年間17人しかない
その辺は貧しい国をもう少し鷹揚にしたいものです
Commented by sabasaba13 at 2005-11-18 20:04
 こんばんは。この本を読んで、「日本人」とは国策の都合によって伸びたり縮んだりする融通無碍/無節操な概念なのだと痛感しました。今現在は相当縮小しているようですね、そろそろ「非国民」という存在を排出しそうで恐怖を感じています。おっしゃるとおり鷹揚なものであってほしいと思います。
 難民を受け入れないということは、難民として受け入れてもらえないということですね。「日本人」という楽園/牢獄にずっといろということかな。
Commented by mihira-ryosei at 2006-01-28 11:44
この本もとりあげておられたんですね。失礼しました。
Commented by sabasaba13 at 2006-01-28 18:30
 こんばんは。とんでもありません。「民主と愛国」についても近々拙い書評をアップする予定です。
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