『サル化する世界』

 『サル化する世界』(内田樹 文藝春秋)読了。『街場の憂国論』(晶文社)を読んで以来、内田氏のファンとなりました。明晰で歯切れのよい文章、該博な知識、説得力のある理路、巨視的な歴史眼、そしてエスプリとユーモア。学び考えることの悦楽を堪能させてくれるエッセイの数々には常に敬意を表しております。
 さて、キャッチーなタイトルの本書は、ポピュリズム、敗戦の否認、嫌韓ブーム、AI時代の教育、高齢者問題、人口減少社会、貧困、日本を食いモノにするハゲタカといった諸問題を軸に、今の日本の「生きづらさ」を考察した内容です。
 氏が運営されている「内田樹の研究室」というサイトに、ご本人による本書の紹介が掲載されているので引用します。
-「サル化する世界」というタイトルに込めた思いを教えてください。
 「サル化」とは、「朝三暮四」に出て来るサルのように、現在の自分と未来の自分の間に自己同一性を保持できない病態のことです。
もともとヒトは時間意識をゆっくりと拡大することで、他の霊長類から分かれて進化を遂げて来ました。そして、今からおよそ2500年くらい前に、四大文明の発祥地で「世界の起源」と「世界の終わり」という概念を持つところまでたどりつきました。広々とした時間意を持つことができた。そのおかげで人類は宗教を持つことができたし、歴史や物語を持つこともできました。
 中国の春秋戦国時代に「矛盾」「守株待兎」「刻舟求剣」「鼓腹撃壌」といった「時間が経過しても自己は同一的である。自己は同一のつもりでも時間は流れる」ということがうまく理解できない愚者を主題にした説話が集中的に語られています。おそらく、その頃に時間意識についての「シンギュラリティ」があったのでしょう。孔子も荘子も韓非も、その教えに共通しているのは長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できる能力を未開からのテイクオフの条件と見なしていたということです。
 しかし、せっかくこうやって時間意識の拡大によって他の霊長類から分離したにもかかわらず、現代人の時間意識はふたたび縮減し始めています。この「人間以前」に向かう文明史的退化の徴候を僕は「サル化」と呼んだのです。

-日本社会の劣化は「サル化」の一兆候なのでしょうか。
 安倍政権の大臣や官僚たちは「嘘をついても平気」「前後に矛盾のある言明をしても平気」「謝罪しても次の瞬間には忘れている」といった症状を呈しています。どれも時間意識の縮減の徴候です。
 Honesty pays in the long run「長い目で見れば正直は引き合う」ということわざがありますけれど、これは裏返して言えば「短期的に見れば嘘の方が引き合う」ということです(実際にそうだし)。ですから、「長い目で見る」習慣を失った人たちがシステマティックに「嘘つき」になるのは論理的には当然なのです。
 前後の矛盾を指摘されてても平気というのは「矛盾」の武器商人と同じです。彼は「どんな矛も通さない盾」を売っているときの自分と、「どんな盾も貫く矛」を売っているときの自分が同一人物だと思っていないのです。だから「この矛でこの盾を突いたらどうなる?」という問いに当惑したのではなく、その問いの意味そのものが理解できなかったのです。国会答弁で少し前に言ったこととまったく逆のことを平気で言って、「整合していない」と言われても少しも悪びれる様子がないのもそれとほぼ同じだと思います。
 いずれ劣らず鋭利な論考ですが、私がもっとも注目したいそれは「China Scare ―中国が怖い」です。最近、嫌中言説が抑制され、嫌韓言説が亢進されているように見えるのは何故かを鋭く分析したエッセイ、その一部を転記します。
 ここまではどなたでも納得して頂けると思う。だが、私が恐れているのはそのことではない。それよりは、中国モデルを模倣しようとしている国が世界中に生まれつつあるということの方である。中央統制を組み合わせた「チャイナ・モデル」の劇的成功を羨む人たちは民主国家よりも強権国家の方が巨視的アプローチを効果的に採択できると信じ始めている。人間は直近の成功事例を模倣する。
 日本でも、IT長者やネットの「インフルエンサー」たちが幼児的な言動をするのを批判すると、「そういうことはあれだけ稼いでから言えよ」と冷笑される。「成功者を批判するやつは嫉妬しているだけだ」という考え方がいつの間にか定着した。同じことが国際関係でも起きている。中国の統治を批判しても、「じゃあ、おまえは14億人を効果的に統治できるのかよ」と言われたら黙るしかない。「成功した人間を批判するのは嫉妬ゆえだ」というロジックを日本人はもう深く内面化している。それが中国批判についての心理的抑制として働いている。
 ところが、まことに困ったことに、ここにチャイナ・モデルの劇的成功に冷水を浴びせる事例が存在する。
 韓国である。
 韓国では、市民たちが自力で軍事独裁を倒し、民主化を達成し、あわせて経済的成功を収め、文化的発信力を高めた。
 つまり、日本の前には、強権政治による成功モデルと、民主政治による成功モデルの二つがあることになる。
 嫌韓嫌中言説はこの二つの成功モデルに対して、競争劣位を味わっている日本人の「嫉妬」から生まれたものだと私は見ている。そして、「嫌中言説」が抑止され、「嫌韓言説」だけが選択的に亢進しているのは、この二つのモデルからの二者択一を迫られたときに、日本の政官財メディアの相当部分が「どちらを選べというなら、韓国モデルより中国モデルの方がいい。民主政体よりも強権政体の方が望ましい」という選択を下したということを意味している。だから、嫌中言説の抑制と嫌韓言説の亢進が同時的に起きたのである。
 安倍政権は、無意識的にではあるけれども、中国の強権政治に憧れに近い感情を持っている。彼が目指している「改憲」なるものは要するに単なる「非民主化」のことである。それと市場経済を組み合わせたら、中国やシンガポールのような劇的な成功が起きるのではないかと官邸周りの人々は本気で信じているのである。本気で。
 そして、指導層の抱いている「日本も中国化することが望ましい」というアイディアに日本国民の多くはすでに無意識のうちに同意し始めている。「現に中国はそれで成功した」と知っているからである。そして、「成功者を批判することは誰にも許されない」という奴隷根性を日本人は深く内面化しているからである。
 だから、「民主化と市場経済の組み合わせ」という韓国の事例を「成功」として認めることにあれほどヒステリックに抵抗するのである。(p.55~7)
 なるほど、中国の強権政治への憧れとは、見事な見立てですね。あまりメディアで取り上げられませんが、『東京新聞』によると、香港への国家安全法制の導入を巡り、中国を厳しく批判する米国や英国などの共同声明に日本政府も参加を打診されましたが、拒否したそうです。コロナウイルスへの対策に失敗し、人種差別問題に呻吟するアメリカに見切りをつけ、その属国の立場から脱し、強権をブイブイ振り回す中国にあやかり、その属国になろうとしているのかもしれません。
 一方、安倍政権を中心とする指導層、そして一部メディアが反韓国的な言辞を事あるごとにふりまくのは何故でしょう。徴用工問題しかり、慰安婦問題しかり、挙句の果ては韓国でクラスターが発生すると鬼の首でも取ったように喜び嘲るメディアすらある体たらくです。その理由は、1980年の光州事件、1987年の民主化闘争、2016~17年のキャンドル革命といった韓国における民主化のための強靭な闘いが、日本国民に影響を及ぼすのを恐怖するためだと考えます。私腹を肥やし、お友だちを優遇し、事実を嘘で塗り固める無能・無策な指導者に対して、かたや総計16,852,000人が参加した平和的な集会で辞職・逮捕に追いこんだ韓国、かたやいまだにぬくぬくと政権の座に居座ることを許している日本。安倍首相と彼を取り巻くお友だちのみなさんは、日本国民が未来永劫、政治や民主化に対して無関心・無気力であってほしいと願い、そのためにも韓国を嫌いにさせ、その民主化のための闘いに無知であり続けさせようとしているのではないかな、きっと。

 日本は、凶暴な二匹のホオジロザメの間で右往左往し、どちらかの下腹部に張り付いておこぼれにあずかろうとするコバンザメではなく、韓国・台湾・香港といった仲間とともに大海を遊弋するイルカであってほしいと思います。
by sabasaba13 | 2020-06-11 09:01 | | Comments(2)
Commented by KAZUMAKI at 2020-07-02 17:52
はじめまして。KAZUMAKIと申します。
とても興味深い内容でした。
「サル化」の定義がとても面白い作品だと思いました!現代人としての生き方が問われる作品ですね、、、
また拝見させていただきます!
よかったら私のチャンネルもご覧になってください!
〈ライフハックサラリーマン〉
Commented by sabasaba13 at 2020-07-24 18:57
 こんばんは、KAZUMAKIさん。コメントをありがとうございました。コロナウイルス禍に対する政府の対応を見ても、四半期的な視野しか感じられません。ぜひ本書を読んで猛省してほしいものです。
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