「MINAMATA ~ユージン・スミスの遺志~」

 『週刊金曜日』(20.12.4 №1307)の「TVドキュメンタリー」欄を読んでいたら、水俣病を描いた映画二作が紹介されていました。ジョニー・デップがプロデュースして自ら主人公のユージン・スミスを演ずる『MINAMATA』、そして原一男監督による長編ドキュメンタリー『水俣曼荼羅』です。
 水俣病についてもっと深く知りたいと考えている小生としては、是が非でも見たい。水俣病と真っ向から向き合い、患者の治療と救済に尽力し、この病気から多くのことを学ぶために「水俣学」を立ち上げた故原田正純医師が、「水俣病は鏡です」とよく話されていたそうです。氏は、水俣病を見た人が水俣病を決してくり返してはいけない問題としてどこまで本気で受けとめたか、その心のなかを映し出してしまう鏡だという意味で言われたそうですが、もう一つ、水俣病を生み出し、放置し、忘却しようとする日本社会の暗部・恥部を映す鏡であるという意味も込められていると思います。
 そして2020年12月6日(日)に「テレメンタリー2020」で、「MINAMATA ~ユージン・スミスの遺志~」というドキュメンタリーが放映されることを知り、山ノ神に録画をしてもらって先ほど視聴しました。番組の公式サイトより、その内容を紹介します。

写真家ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)
 その死から40年余り。水俣病の惨禍を世界に伝えた写真家ユージン・スミスに今再び、脚光が当てられようとしている。終わらない戦いが続く水俣病。俳優ジョニー・デップは自ら、水俣とユージン・スミスの映画を製作することを提案。映画は間もなく公開予定だ。二人三脚で撮影の月日を過ごした元妻はその意志を受け継ぎ、活動を続けている。ユージン・スミスが水俣で過ごした3年間。患者たちとどう向き合い、何を感じたのか。交流のあった患者たちを訪ねると、彼の生き様や苦悩、葛藤が分かる数々の知られざるエピソードに遭遇した。

 ユージン・スミス、その名を聞くと心がふるえます。「gallery bauhaus」や東京都写真美術館での展覧会を見ても、『写真集 水俣』を見ても、人間を見つめるあたたかい眼差しと、人間を虐げるものへの怒り。
 本ドキュメンタリーは、ユージン・スミスも映っている当時の実写映像、彼が撮影した少女の今の姿、その彼女と妻・アイリーンのふれあい、そして認定を求めて裁判で戦う患者たちを取り上げています。患者としての認定を申請した方々が約2万人、そのうち政府が認定したのが約一割弱という数字には驚きました。水俣病を起こしたチッソ、被害をできるだけ過小なものにしようとする政府と自民党、その自民党を支持する有権者に、あらためて瞋恚の焔が燃え上がります。まだ水俣病は終わっていない、そう痛感しました。そして水俣病をなかったことにして、忘却の淵に早く沈めようとするチッソと自民党。そう、今度は東京電力とつるんで自民党は、福島の原発事故についても同じことをしようとしています。
 番組のなかで一番胸を打たれたシーンは、カセット・テープに録音されたユージン・スミスの肉声です。話すことも歩くこともできない胎児性水俣病の少女を撮影しようとする彼ですが、彼女の中で微かにゆらめく様々な感情の動きをフィルムにとらえることができません。「君を愛している」と何度も呟きながらすすり泣く彼。私の涙腺も決壊しました。

 ユージン・スミスをジョニー・デップがどうように演じるのか、そしてどのようなメッセージを送ってくれるのか、今から楽しみです。
 なお東京都写真美術館で購入した図録に、「水俣で写真を撮る理由」について語ったユージン・スミスの言葉がありました。ぜひ紹介します。

 写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま-ほんのときたま-一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚すことができる。写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの-たぶん少なからぬもの-は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけるだろう。そして、ひとつの病いの治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものも、たぶん、われわれ自身の生活から遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが、私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。それが私-そしてアイリーン―が水俣で写真をとる理由である。

 彼の写真に勇気づけられながら、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけましょう。喫緊の課題は、自民党を政権の座から引きずり下ろし、責任の重い方は即刻公職から退いていただき、犯罪を行った方は刑務所で臭い飯を食べていただくことです。

by sabasaba13 | 2020-12-19 08:51 | 鶏肋 | Comments(0)
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