レオ・レオーニ展

レオ・レオーニ展_c0051620_18343977.jpg 昨年放映された『新・美の巨人たち』で、レオ・レオーニ特集を拝見しました。彼の絵本は『あおくんときいろちゃん』と『スイミー』しか持っておりませんが、ぬくもりのある絵と明確なメッセージが込められたストーリーが気に入っています。ところがこの番組で、彼の知られざる一面を教えていただきました。紹介文を転記します。

 スイミーを中心に小さな魚たちが力をあわせて大きな魚に立ち向かう冒険物語を描いた、レオ・レオーニ作のベストセラー絵本『スイミー』。1963年にアメリカで出版され、日本では教科書にも掲載されている作品です。
 スイミーの冒険を活き活きとシンプルに美しい色使いで描いていますが、よく見ると独特の質感があります。実に多彩な技法が用いられているのです。そこには広告デザイナー出身のレオーニらしい表現が…。なぜかすべて右を向いた姿で描かれているスイミー、『僕が目になろう』というスイミーのセリフ…そこに込められたレオーニの真のメッセージとは? そもそも超売れっ子デザイナーだったレオーニが、なぜ49歳で絵本を手掛けることになったのか。

 彼がなぜ絵本作家になったのか。そのきっかけとなったある事件が起きたのですね。後日購入した『だれも知らないレオ・レオーニ』(森泉文美/松岡希代子 玄光社)で詳しく紹介されていたので引用します。

 1958年、ある事件が起こります。この年ベルギーのブリュッセルで戦後初の万国博覧会が開催され、アメリカはメインパヴィリオンのほかにタイム・ライフがスポンサーとなった『Unfinished Business (未完成の仕事)』というテーマの小規模な特設パヴィリオンを企画します。当時アメリカとソ連は冷戦真っただ中で、ソ連によるアメリカの国内問題に対するネガティヴ・プロパガンダが国際的に繰り広げられていました。それに対抗する1つの手段として、国内問題を率直に取り上げるパヴィリオンが計画され、レオはアートディレクターとして建物の設計から、展示の内容まで深く関わりました。(略)
 そして最後に子どもたちが遊ぶ様子を撮った大きな写真が展示されました。それは、肌の色もさまざまな7人の子どもたちが手を繋いで輪になり、マザーグースの1つ『Ring-a-Ring-o'Roses (薔薇の花輪を作ろう)』を歌う様子を捉えた、生き生きとした写真作品でした。しかし、この写真が開催前からアメリカ南部の一部議員の間で問題視されることになります。人種の異なる子どもたちが一緒に遊んでいる様子が、アメリカの望ましい未来の象徴とされたことへの違和感が表明されたのです。その結果、パヴィリオンは1度一般公開したものの、3週間後には政治的圧力により閉鎖されてしまいます。その後、子どもたちの写真の前に『この写真がアメリカの求める未来ではない』という注意書きを付けるなどの手直しをした上で、試験的にガイドツァーでの公開のみが承諾されました。しかし、これも数日で終了し、まもなくまったく異なる展示に差し替えられてしまいます。(p.172~3)

 社会の見えにくいところで起きている事件を人々に、特に未来を担う子どもたちに知らせないといけない。それがアーティストの役割だと自覚したのですね。『ぼくが、めに なろう』というスイミーの行動は、そこから来ています。若い頃から政治活動にかかわり、芸術家の社会的な役割を意識し続けたレオ・レオーニ、俄然興味を引かれました。
 その彼の展覧会が板橋区立美術館で開催されているとのこと、さっそく山ノ神を誘って見に行くことにしました。コロナウイルス禍により入場制限があるのでインターネットで事前に予約し、当日、地下鉄成増駅からバスで美術館に行きました。

 彼のプロフィールです。

Leo Lionni (1910-1999)
 1910年アムステルダムで生を受けたレオーニは、幼い時からヨーロッパ各地とアメリカを転々としながら成長した。1930年代半ばよりミラノでグラフィックデザインの仕事を始めるが、第二次世界大戦が近づくとユダヤ系であったためアメリカに亡命。ニューヨークを中心に、オリヴェッティ社やMoMAの広告、ビジネス誌『フォーチュン』のアートディレクションなどを手掛けて成功した。1959年に初の絵本『あおくんときいろちゃん』を出版してからは徐々に広告の仕事から退く。以後、年に1冊の絵本を出版しながら、油彩画、彫刻、版画などの制作に没頭する。イタリアのトスカーナにアトリエを持ち、ニューヨークとイタリアを渡り鳥のように行き来する生活を30年以上続けた。

 まずはグラフィック・デザイナーとして広告業界で活躍していた時代の作品群が展示してありました。モダンでユニークでユーモラスなイラストレーションには、絵本作家としての萌芽が見てとれます。ベン・シャーンと似たタッチの絵が散見されましたが、二人は交友関係にあったそうで、互いに影響し合ったのかもしれません。
 そして最近の調査で発見されたという、多くの政治風刺画。レオはユダヤ系の家庭に生まれ、ファシスト政権の弾圧を受けてアメリカに亡命したという体験も影響しているのかもしれません。またイタリア共産党メンバーとの交流があり、左派的な思想を持っていたため、アメリカ政府に長い間監視されていたそうです。ヒトラーへの憎悪をぶつけた「空気の抜けたヒトラー」や、白人社会から迫害を受ける黒人カップルを描いた「人種差別」など、目を見張る作品でした。
 そして、コラージュなどさまざまな技法を用い、魚やネズミやワニなどの動物をユーモラスに描いた絵本の原画も多数展示されていました。絵もさることながら、彼は、子どもたちへのさまざまなメッセージをストーリーに込めているのですね。例えば『スイミー』には、協力することの大切さ、世界の素晴らしさ、他の人が考えないようなことを考える人への賛美といった複数のメッセージが、あの短い絵本に込められています。また、ヴェトナム戦争に反対する『あいうえおのき』、ベルリンの壁崩壊に刺激されて生まれた『どうするティリー?』、ファシズムの恐ろしさを訴える『みどりのしっぽのねずみ』、争うことで何が失われるかを子どもたちに伝えようとした『ぼくのだ!わたしのよ!』、自分探しの末に独立した個である喜びを見出す『ペツェッティーノ』『じぶんだけのいろ』『さかなはさかな』など、それらを読んだ子どもにとって、素敵な絵とともにきっと素晴らしい贈り物になったことでしょう。
 そうそう、1958年に政治的抑圧を受けたあの事件の後日談も知りました。『あおくんときいろちゃん』の中に、色の違う七つの小さな円が輪をつくっている絵がありますが、それは問題となったあの写真、肌の色もさまざまな7人の子どもたちが手を繋いで輪になって歌う写真と構図が酷似しているのですね。

 というわけで、たいへん楽しめた、そして学ぶことが多かった展覧会でした。レオ・レオーニという稀有なるアーティストとのつき合いはこれからも長く続けたいと思います。彼の言葉です。

 現代の都市生活がどんどん複雑化し、問題が増加し、その結果として起こってきた価値観の劣化に僕たちは驚いています。そのために自分たちの作るものを通して、1つのモラルを明確に伝えるということは、とても大切なこととなり、しかも緊急を要する行為となっているのです。地球全体と人間の命が、言葉と戦争を作り出す人々-つまり弁護士と軍人たち-の手中にある今現在ほど、僕らの作るものが、社会的、政治的メッセージを持つのだということを自覚することが大切です。今日の状況から考えると、独りよがりなテイストや、知的な自己満足のみに基付いた、気まぐれな戯れを通してこの責任から逃れようとすることは、ものを作る者としての責任を放棄することなのです。

 自民党の国会議員や官僚の皆々様がアーティストに冷たいのは、彼ら/彼女らが放つ政治的・社会的メッセージを恐れているのかもしれません。

 追記です。4月24日(土)より、東京都美術館で『イサム・ノグチ 発見の道』が開催されることを、美術館にあったチラシで知りました。これもぜひ見に行きましょう。

by sabasaba13 | 2021-01-22 13:20 | 美術 | Comments(0)
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