青森・秋田編(11):大間崎・佐井(05.9)

 バス停のそばで、小学生がつくったもっともな標語を発見。ま、そりゃそうだけど… 黒猫に見送られながら路線バスに乗って、下北半島北岸の道を一路大間崎へ向かいました。
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 一時間半ほどで到着、その直前に車窓から「大間原発準備事務所」という看板を発見しました。ここが本州最北端の地、眼前には弁天島と大間崎灯台、津軽海峡、そして遠く北海道と函館山が眺望できます。昨年、函館山の立待岬から見えた光景はここだったのですね。岬には、まぐろ一本釣りの碑、本州最北端の地の碑、石川啄木の歌碑、豊国丸戦死者忠霊碑が建ち並んでいました。1945(昭和20)年7月14日、米機動部隊艦載機の空襲を受け大間崎沖約2Kmの海域で沈没した特設運送艦「豊国丸」戦死者135名の慰霊碑です。さすがにここは観光客が多かったですね、今回の旅行で一番賑わっていた処です。
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 近くの土産屋で「まぐろ一筋」という変なTシャツを購入し、観光案内所でタクシーを呼んでもらい下北半島西北岸にある港町佐井へ。ここから高速船で青森に向かう予定です。出航まで約一時間、ここの港湾ターミナルにある食堂のウニ丼とプチ博物館を、昨日の運転手さんに勧められていたのでさっそく表敬訪問しました。実は私、ウニはそれほど好きではありません、あの生臭さがどうも苦手で… 大間で出されるまぐろは築地から送られたものだという噂も耳にはさんでいるし、ここは意表をついて特製焼豚入りチャーハンをいただきました。結構美味しかったですよ。そしてミュウジアムへ。この港は江戸時代に北前船の寄港地として殷賑を極め、京文化と北方文化の接点となった土地だと聞いておりました。展示品は少ないのですが、海底で発見された北前船の碇、祇園祭の影響を受けた山車、アイヌが、黒竜江下流に住む山丹人から毛皮と交換して入手した清朝の官服(蝦夷錦)・青玉を見ることができ、納得。また日露戦争において手製赤十字をつくり多くの兵士の命を救い、その後村の医師として医療に尽力した三上剛太郎の胸像や資料もあります。なお近くには円空仏があるそうですが、残念ながら時間がなく拝見できませんでした。
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 追記。まったく脈絡がありませんが、先ほど東京国立博物館から耳寄りなメールマガジンが届きました。長谷川等伯の「松林図屏風」が2年ぶりに公開されるそうです。
本館2室 国宝室 12月27日(火)~2006年1月29日(日)
by sabasaba13 | 2005-12-13 06:08 | 東北 | Comments(0)
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