東北編(109):石巻(16.8)

 そしてその日和山へ語り部タクシーは上っていきました。元々は船を出航させる際に「日和(天候)」を見るための場所であったそうで、眼下には津波で壊滅的な打撃を受けた門脇・南浜地区、そして遠くに旧北上川と石巻湾を一望することができました。
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 山上にあった三枚の解説板を転記しておきます。

【日和山】
 日和山は、松尾芭蕉石川啄木宮沢賢治など多くの文人墨客が訪れた、石巻のシンボルです。目の前には広く太平洋が広がり、牡鹿半島、遠くには蔵王連峰、そして時には相馬地方の山並みまで見ることができます。そして春には桜、ツツジの名所として多くの市民が訪れる憩いの場所でもあります。
 標高約56mの小高い山は、2011年3月11日の東日本大震災時、数えきれない人が避難した命の山となりました。そして避難してきた人々は、降りしきる雪の中、信じられない光景を目にします。高さ6mを超える大津波が目の前の街並みや車を押し流し、同時に発生した津波火災によって燃え上がる街の景色です。
 人々は、絶望感とともに家族、友人の無事を祈りながら夜を明かしたのです。

【門脇、南浜】
 江戸時代、目の前には白砂清松の美しい海岸が広がっていました。
 明治時代以後、農地の開墾が進み、昭和になり、北上川西岸に工業港が整備されると、パルプ工場をはじめとする多くの工場が立地し、門脇、南浜地区は急速に市街化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター、そして、約3000軒を超える人家が立ち並ぶ街として発展しました。
 しかし、東日本大震災の大津波はこれらの家々を全て押し流し、同時に発生した津波火災が街を焼き尽くしました。
 この地域は、災害危険区域として居住できない地域となりました。
 現在、東日本大震災で亡くなった多くの方々の慰霊の場、震災を伝える場、感謝を発信する場として、国の祈念公園を整備することが決定しています。

【旧北上川・中瀬】
 1689年(元禄2年)俳聖松尾芭蕉は石巻を訪れ、「奥の細道」の中で、当時の石巻の繁栄の様子を「数百の廻船入り江につどひ 人家地をあらそいて竈の煙立ちつづけたり」と記しています。
 目の前に広がる旧北上川の両岸は、江戸時代の船運の基地として栄え、その後も石巻の中心市街地として発展してきました。
 しかし、2011年3月11日の大津波は、石巻市発展の礎である両川岸に広がる街並みを一瞬に呑み込み、津波が引いた後には廃墟ともいえる光景が広がりました。
 現在、川岸の防潮堤整備や、中心部の市街地再開発、対岸にある湊地区の区画整理事業による復興事業が進められています。

 この山に避難して命を救われた人びと、家族や知人の安否を気遣う人びと、津波に呑み込まれ火災で焼かれる街並みを見つめる人びと、ここではさまざまな思いが交錯していたのですね。言葉もありません。

 そして近くにあった芭蕉と曾良顔はめ看板を撮影。
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 参考のため、『おくのほそ道』の当該部分を引用しておきます。

 十二日、平和泉(ひらいずみ)と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝て、人跡稀に雉兎(ちと)蒭蕘(すうじょう)の往(いき)かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石巻といふ湊に出づ。
 「こがね花咲」とよみてたてまつりたる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立ちつづけたり。
 思ひがけずかかるにも来たれるかなと、宿からんとすれど、さらに宿かす人なし。
 漸(ようよう)まどしき小家に一夜をあかして、明ればまたしらぬ道まよひ行く。

 また「川村孫兵衛重吉之像」という銅像がありましたが、碑文を読むと石巻の基礎を築いた大恩人であることを知りました。
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 天正三年(1575)長州(山口県)に生まれる。毛利家に仕え、二十代前半、伊達政宗の家臣となる。
 治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。工事は元和二年(1616年)から寛永三年(1626年)に至り、工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊まり込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
 この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。治水に伴って流域では三十二万石余の新田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。
 工事完成後は石巻に住み、慶安元年(1648年)、七十四歳で世を去る。
 河北新報社は石巻市制施行五十周年に当たり、港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるためここに川村孫兵衛重吉の銅像を建立、石巻市民に寄贈する。

by sabasaba13 | 2021-08-25 06:47 | 東北 | Comments(0)
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