青森・秋田編(19):田舎館垂柳遺跡(05.9)

青森・秋田編(19):田舎館垂柳遺跡(05.9)_c0051620_13543868.jpg さて急ぎましょう。駅に戻り、客待ちしていたタクシーをつかまえて垂柳遺跡をめざします。そうそう駅前にはこんな表示がありました。それは事実ですが、もう一つの事実も伝えないといけませんね、「暮らしを破滅させるかもしれないエネルギー 原子燃料サイクル」と。垂柳遺跡は656枚もの田んぼが発見された、日本最北の水田遺構です。運転手さんも正確な場所を知らないようです。「道の駅」には資料館ができているのですが、そこではなく実際に発掘をした現場に行きたいと無理を言い、結局、地元の方に訊ねて多分このあたりであろうという所に止めてもらいました。一面の水田とそれを取り囲む連山。それにしても2000年以上にわたり、土壌を流出せず耕地として使用できる水田の凄さにあらためて感服いたしました。なおこの時代以降、東北も「瑞穂の国」となったと思うのは、早とちりです。赤坂憲雄氏の「東北学へ」(作品社)によると、東北では稲作農業が中心とならず、畠作・焼畑・狩猟・採取を組み合わせた複合的な営みが近世まで続くのですね。東北が大きな変質を強いられたのは、近代に入ってからです。銘肝。そして田舎館駅まで送ってもらい、電車を待ちます。少し時間があるので近くの鉄製火の見櫓を見に行くと、こんな標語が貼ってありました。まあこれでも結構ですが、「いつも灯そう友との明かり」にすれば都々逸になって宴会の席でも使えますね、いかがでしょう竜也君。そして駅に戻る途中、ふと右手を見ると、おおっ、岩木山にかかっていた雲も消え頂が見えるではありませんか。黄金色に輝く稲穂を穏やかに見下ろす岩木山。絵になります。上の方にいる誰かさん、どうもありがとっ。
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 そして電車に乗り込み、弘前へ向かいます。それにしてもこのあたりは~館という地名が多いですね。中世の武士・土豪の拠点が多かったということなのでしょう。弘前から再び奥羽本線に乗って約一時間、今夜の宿泊地秋田県大館に到着です。ぜひ行ってみたい資料館へのバス運行表を調べたら、ぬぅわんと一日に一本! sigh やはりタクシーを利用せざるを得ませんね。さてお腹が減りました。ここに来たらやはり比内地鶏でしょう、夕食は鳥釜飯と地鶏唐揚げを堪能。なお比内の「ナイ」はアイヌ語の川という意味ですね。比内、院内など、「ナイ」がつく地名が多いという事実が、東北の歴史を解き明かすための一つの鍵です。
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 本日の一枚は、岩木山です。
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by sabasaba13 | 2005-12-21 07:21 | 東北 | Comments(0)
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