在日ブラジル人

 映画『ファミリア』のパンフレットを購入しましたが、在日ブラジル人について記した、「ともに生きていくために -移住者の背景-」という安田浩一氏による一文がたいへん参考になりましたので、長文ですがぜひ紹介します。

 そこは「小さなブラジル」と呼ばれている。
 豊田市(愛知県)の郊外に広がる保見団地。
 本作のロケ地として使われた場所だ。全住民(約8000人)の半数以上がブラジル人など日系南米人で占められる。(略)
 保見団地は1969年に当時の日本住宅公団(現在のUR都市機構)と愛知県によって共同開発された。入居が始まったのは75年である。丘陵地帯を削って開発された大型団地は、近隣の豊かな自然と、商店街や公共施設が充実した生活環境で評判を高め、一時は1万2千人もの住民を集めるまでになった。住民の多くは、地元の自動車メーカーやその関連産業で働く人々とその家族だった。
 ここに日系ブラジル人が暮らし始めるようになったのは、80年代後半からである。ブラジル国内では経済苦によって、海外に活路を求める人が続出した。同地の日系社会も例外ではない。サンパウロなどの日系人集住地域を中心に、日本へ「デカセギ」に向かう人が増えた。90年に入ると日本の入管法が改正され、3世までの日系人およびその配偶者の定住資格が認められるようになる。海外からの移民、難民には厳しく門戸を閉ざす日本が、日系ブラジル人の就労と定住を認めたのは、労働人口減少に対応するためである。移民受け入れのハードルを下げることなく労働力を確保する手段として、日系人限定という「ウラワザ」を駆使したのであった。これを契機に、ブラジルでは日系人による「デカセギブーム」が起こる。
 85年、日本におけるブラジル人の外国人登録者数は、わずか1千900人に過ぎなかったが、90年には5万6千人にまで増えた。そして今では20万人を超える日系ブラジル人が日本各地で生活している。
 なかでも保見団地は、「デカセギ」の最大級の受け皿として機能する大手自動車メーカーに近接していることから、通勤しやすさといった地の利の良さ、民間マンションと比較して安い家賃、そして外国人を排除しない公正な入居審査によって、多くのブラジル人を引き寄せた。(略)
 …最大の悩みは食べ物ではなく、日本人との距離感だった。
 「保見団地は年を追うごとにブラジル人が増えていった。しかしそれを日本人住民が歓迎していないことは明らかだった。こちらとしては日系人という意識があるから、日本人への親近感があったが、日本人からすれば私たちは異世界から来た"ガイジン"に過ぎない」
 なかでも子供たちへの影響は深刻だった。この男性の次男も、学校へなじむことができずに不登校となった。きっかけは差別である。
 小学校ではブラジル人の子供たちは常に「ガイジン」としてイジメの対象になってきた。「ブラジルに帰れ」。そうした罵倒を受けることは珍しくない。あるとき、次男の友人であるブラジル人が、日本人の同級生に殴られた。それをきっかけに次男は同級生と乱闘になる。後日、男性は次男と一緒に校長室へ呼び出された。次男だけが悪いのだと、親子で校長の説教を受けた。次男の反論を学校側は無視し、学校の生活に溶け込むことのできないブラジル人に非があるのだと強調した。
 男性は次男の言い分を信じていた。差別と偏見の視線は、自分自身だって感じている。
 だが-男性は抗議する次男の口を遮り、「ごめんなさい」と深々と頭を下げた。
 「そうするしかなかった。ここは日本で、私たちはガイジンだ。悪いのはブラジル人だと最初から決まっているのであれば、謝るしかない。流れに逆らえば、息子がさらに悪い状況に追いやられてしまう」
 日本で生きるというのは、そういうことなのだと自身を納得させた。だが、次男は納得しなかった。悪くもないのに頭を下げる父親を許せなかったのだろう。父子の間に距離が芽生え、そのうち学校にも行かなくなった。
 実は、こうした子供たちは今でも少なくはない。団地内では主流派となったブラジル人も、一歩団地の外に出ればマイノリティであることに変わりはない。差別があり、偏見があり、対立があり、そしてイジメもある。ドロップアウトしたブラジル人の子供たちのなかには、自らを守るため、抑圧から逃れるため、あるいは無為な時間を穴埋めするために、非行や犯罪に走る者もいた。日本最大のブラジル人コミュニティであり、「身近な異国」としてバラエティ番組でも取りあげられることの多い保見団地だが、ブラジル人の記憶に刻まれているのは対立の歴史なのだ。90年代末には、団地内のブラジル人少年グループと、地元右翼団体との間で抗争事件も起きている。また、97年には同じ県内の小牧市で、日系ブラジル人少年エルクラノ君が、日本人の少年グループから集団リンチを受け、死亡するといった事件も起きた。日本社会が抱える外国人差別は、労働力補充のニューカマーとその家族に、容赦なく襲いかかったのである。(略)
 それでも今、社会は少しずつ変わりつつある。前述した保見団地も、手探りではあるが、日本人とブラジル人の交流が進んでいる。日本に住む在日外国人は今や300万人。大阪市の人口を上回る規模だ。外国籍住民は、社会に不可欠な私たちの隣人なのだ。
 ともに生きる-それはどういうことなのか。なにが必要なのか。本作が描く世界から、きっとひとつの答えを見出すことができるであろう。(p.12~3)

 日本社会に伏流する「悪いのはガイジンだ」という流れ。在日外国人を対等な人間として認めず、その人権にも配慮せず、使い捨ての安価な労働力として酷使する、そこに問題があるように思えます。マックス・フリッシュに「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」という言葉がありますが、企業が欲しているのは、人間ではなく、人権に配慮する必要のない労働力なのでしょう。そしてこの考えは在日外国人だけでなく、女性にも、非正規社員にも適用されて、日本社会を蝕んでいます。
 なぜこんな酷い社会になってしまったのか。もちろん、さまざまな要因があるでしょうが、『下り坂のニッポンの幸福論』(内田樹・想田和弘 青幻舎)を読んでいたら、考えるヒントとなる一文に出会えました。内田樹氏の言です。

 資本家は労働者に対して「お前の替えなんかいくらでもいる」と屈辱感を与えて、自己肯定感を傷つけ、どんな劣悪な雇用条件でも「働かせてください」とすがりついてくる人間を創り出す。これは資本主義の「業」のようなものです。(p.128)

 屈辱感を与え、自己肯定感を傷つけることによって安価な労働力を創り出す。なるほど、学校教育もその片棒を担いているようです。そして自己肯定感を傷つけられた日本人は、そこから目を逸らすために、人間として扱われない存在を必要とする。「お前らガイジンは人間ではない、俺たち日本人は人間だ」と言わんばかりに。

 ではどうすればよいのか。長期的には、安い労働力が無ければ立ち行かない経済と社会のシステムを変えること。今すぐにでもできるのは、そうしたシステムの存在をきちんと認識したうえで、在日外国人を人間として認めることだと思います。
 パンフレットに、在日ブラジル人を演じた若者たちの座談会が掲載されておりますが、ルイを演じたシマダアラン氏が成島出監督のやり方について述べた感想が心に残りました。

 そうそう、自分たちを認めてもらえてると思うとすごく嬉しくて、もっとやる気になっちゃうんですよ(笑)。(p.18)

 ここから始めましょう。私たちは人間だ、君たちも人間だ、われわれを人間として扱わない奴らを相手に手を取り合って闘おう、と励まし合いながら。

by sabasaba13 | 2023-02-08 06:16 | 鶏肋 | Comments(0)
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