「若冲と一村」展を観にせっかく箱根まで行ったのですから、翌日は熱海を訪れることにしました。お目当ては「旧日向家熱海別邸」。パンフレットの解説を転記します。
ブルーノ・タウト
タウトは、1880年ドイツ帝国のケーニヒスベルクに生まれた都市計画と集合住宅の世界的権威です。
第一次大戦後、劣悪な生活環境にあったドイツの労働者の健康に配慮した集合住宅(建物の配置や採光、通風等に工夫をし、自然と共生した緑豊かな都市機能を備えた、職住近接型)を数多く手掛けています。数年間ソ連で活動したことがあったため、親ソ連派とみられて母国を去り、日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933(昭和8)年5月に来日し、そのまま約3年間滞在することになりました。
日本インターナショナル建築会で活躍していた上野伊三郎は、大丸百貨店社長の下村正太郎の協力を得て、タウトを桂離宮に案内し、その後も交流を続けました。
タウトの建築理念を理解し日向邸地下室の設計に協力したのが逓信省の建築家吉田鉄郎でした。ドイツ語も堪能で『日本の住宅』等をドイツ語で執筆し、ヨーロッパに日本建築を紹介しました。万平ホテルの設計で知られる久米権九朗もドイツに留学しており、タウトに仙台での仕事や、高崎の井上房一郎を紹介しました。
タウトは『ニッポン』、『日本文化私観』、『日本の家屋と生活』という著作を発表しましたが、滞在中、大倉邸(現存せず)や日向別邸以外には建築設計の仕事が得られなかったため、1936(昭和11)年にトルコに転地します。トルコでは建築家として多忙でしたが、1938年の12月24日、心臓疾患により58歳で病没しました。
アジア貿易で活躍した実業家日向利兵衛が、1933(昭和8)年熱海市春日町に温泉付分譲地を購入し、翌1934年(昭和9)年から1936(昭和11)年にかけて建てた別邸です。
木造二階建ての上屋の設計は、東京銀座の和光や横浜のホテルニューグランドなどの設計で知られる渡辺仁によるものです。
敷地は海に向かう急傾斜地で、土留めの代わりに鉄筋コンクリート造で地下室を造り、屋上を庭園にしました。その地下室をブルーノ・タウトが1936(昭和11)年離日する直前に完成させました。旧東京中央郵便局の設計で知られる吉田鉄郎が協力し、名宮大工佐々木喜平も腕を振るいました。
2004(平成16)年に、東京在住の女性篤志家の寄付を受け、熱海市が取得しました。そして2018(平成30)年からの保存修理期間を経て、2022(令和4)年から一般公開を再開しました。
なお2003(平成15)年DOCOMOMO選定建築物に選定され、2006(平成18)年7月、国の重要文化財(建造物)に指定されました。
学生のころ、彼が著した『日本美の再発見』(岩波新書)を夢中になって読んだ思い出があります。かなり以前に、彼が滞在していた群馬県にある少林山達磨寺の「
洗心亭」を訪れたこともありました。その彼が、内装を設計した家があるとは初耳、これはぜひ見てみたい。なお時間指定でインターネット予約が必要なので、事前に済ませておきました。

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