『生きる』

『生きる』_c0051620_13113753.jpg 東日本大震災で、多くの児童・教職員が亡くなった宮城県石巻の大川小学校。私も慰霊のために2016年に現地を訪れて、その被害の凄まじさに言葉もありませんでした。その後、遺族たちが石巻市と宮城県を訴えて最終的に勝訴したというニュースは知っておりましたが、その闘いを記録したドキュメンタリー映画が「ポレポレ東中野」で上映されているという情報を入手しました。『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』という映画です。まずは公式サイトから引用します。

「あの日、何があったのか」「事実と理由が知りたい」
親たちの強い思いが、10年にわたる唯一無二の記録となった-
 2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなった。地震発生から津波が学校に到達するまで約51分、ラジオや行政防災無線で津波情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していた。にもかかわらず、この震災で大川小学校は唯一多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対し、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠ぺいがあると感じた親たちは真実を求め、石巻市と宮城県を被告にして国家賠償請求の裁判を提起した。彼らは、震災直後から、そして裁判が始まってからも記録を撮り続け、のべ10年にわたる映像が貴重な記録として残ることになっていく--
弁護団はたった2人の弁護士
親たちが"わが子の代理人"となり裁判史上、画期的な判決に
 この裁判の代理人を務めたのは吉岡和弘、齋藤雅弘の両弁護士。
 この裁判で、親たちは、「金がほしいのか」といわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、"わが子の事実上の代理人弁護士"となって証拠集めに奔走し、わずか2人の弁護団でわが子を失った親たちとともに、5年にもわたる裁判で「画期的」といわれた判決を勝ち取った。そうした親たちと二人の弁護士の闘いの一部始終を記録として撮り続け、膨大な闘いの記録が残った。寺田和弘監督は、この貴重な撮影記録を丁寧に構成・編集し、独自の追加撮影もあわせて、後世に残すべき作品として作り上げた。

 山ノ神を誘いましたが野暮用があるとのことなので、一人でポレポレ東中野に行き観てきました。冒頭、現在の大川小学校の様子を映すシーンに、子どもの死に直面した親たちの言葉がテロップで重なります。「目に入った砂を舌でぬぐい、つまった鼻水を吸い、子どもを清めた」といった哀切きわまりない言葉の数々に胸がつまります。
 そして遺族の方がすべて撮影した石巻市による説明会の様子が流されます。しかし行政の責任を認めず、情報を隠蔽し、言葉尻を捉えられぬよう細心の注意を払うその不誠実な対応には呆れ果てます。行政側に不利な発言をしようとした部下を、上司が唇に指を当ててひそかに制するシーンもありました。頼みの綱の文部科学省による第三者検証委員会でも、進捗はありません。なおその場に前川喜平氏がいたのには少し驚きました。彼がどのような立ち位置をとったのか興味があります。行政側に立ったのか、それとも遺族側に立ったのか。
 子どもが死んだ時の状況が、事実が知りたい、そして行政の責任を問いたいという、あまりにも当然な遺族の強い思い。業を煮やし、親たちの一部は石巻市・宮城県を訴えます。それに対して「金がほしいのか」との多くの誹謗中傷が浴びせられます。
 子どもを失った、いや奪われた遺族の方々の言葉や日々の暮らしを映したシーンも心に残ります。学校を訪れた夫婦が、亡きわが子の名を記した壁のシールをいとおしげになでる場面が印象的でした。わが子が生きていたという証…
 裁判は、原告側の勝訴となります。十分な地震・津波対策を平時にしなかった組織的過失という仙台高裁判決を、最高裁も支持したのですね。喜びというよりは安堵の表情を見せる遺族の方々。事実を明らかにし、行政の責任を問うたことで、「これで生きることができる」と言わんばかりに。

 「この映画で一番伝えたいこと」という問いに対する寺田和弘監督の答えです。

 あえて言えば、当初からのテーマとなっていた「法意識」、裁判を起こしただけでなぜ遺族が辛い思いや、いわれのない誹謗中傷を受けなければならないのか、その根底には何があるのか、本作を通して、遺族の気持ちになって、考えていただければ嬉しく思います。

 もう一つ、プログラムに載っていたこの訴訟の弁護団のひとり吉岡和弘氏の言葉です。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」には、「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといいい…」との一節がある。日本社会には、今なお、「裁判などしてはならない」という法意識が通奏低音のように国民の身体に染みついている。
 一方、我が国の行政組織には、「行政は誤りを犯さない、犯してはならない」という行政の無謬性論がはびこる。「官」側に立つ者は、そうした無言の圧力に押されるように、「ミスは犯していない」と言い張り、「真実を知りたい」と願う遺族たちと衝突する。全くの正反対のベクトルが働く中で、遺族らに残された手段は裁判しか他に術はない状況に追いやられていく。

 うーむ、あれだけろくでもない政策を打ち出す自由民主党を支持する方が多いことも、関係しているのではないかな。権力を持つ者は常に正しいという思い込み、批判意識の欠如、強い同調圧力。いろいろなことを考えさせてくれる映画でした。

 追記です。「平時に災害対策をしなかった組織的過失」という画期的な判決、これはぜひ自民党に対して適用させたいものですね。

by sabasaba13 | 2023-07-24 08:44 | 映画 | Comments(0)
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