青森・秋田編(20):大湯環状列石(05.9)

 つんつくつくつくつん つんつくつくつくつ ひゃらー

謹賀新年

 ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。

 青森・秋田編の続きです。某日は快晴、やはり気分が違います。あっるっこー あっるっこー 私は元気 と口笛をふきスキップしながら東大館駅に向かいました。途中でちょっと不気味なそうじ小僧を発見。時間があるので駅前の神社(神明社)に立ち寄ったところ、奉安殿らしき建物がありました。一応写真に撮影、今にして思えば、宮司さんに聞けばよかったのですが…
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 ここから花輪線に乗って十和田南に向かい、大湯環状列石の見学です。路線バスは本数が少ないので、タクシー利用、幸い駅前で2台が客待ちをしていました。ここから約10分で遺跡と資料館に到着、一時間後に迎えのタクシー配車をお願いしました。ここは4000年前の縄文後期につくられたスト-ンサ-クルで、道路をはさんで「野中堂遺跡」と「万座遺跡」という2つの遺跡があり、その総称が大湯環状列石です。
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 住居址はごくわずかしか発見されていないところから、墓地と祭祀中心の場と考えられています。2つのサ-クルの中心を結んだ直線は、夏至の日没の方向とほぼ同じだそうです。この遺跡も、縄文後期の気候変動によるコミュニティ崩壊の危機に対応するための、呪術・祭りの発達と関係していると思います。なお歴史教科書の写真などで有名な「日時計状組石」が中心かと思いきや、実は中央の小さなサークルの脇に配置されているのが分かりました。何故なのだろう? 他にも五本柱建築が復元されていました。それにしても突き抜けるような清々しい青空、清冽な空気、清々しい芝生と木々、そして黙して語らぬ巨大な石の輪。たいへんいい気分でした。縄文の人々は、ここで何を祈っていたのだろう。そうそう資料館前ではめこみを発見、気をつけているとけっこう見つかるものですね。ひげがついているというのは、けっこう珍しいのではないかな、ご教示を乞う。お母さんがややそっぽを向いて憂いを秘めた表情なのが気がかりですね、お父さんが、獲物を愛人にあげちゃったのかな。
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 さてタクシーで再び十和田南駅に到着、花輪行きのバスが来るまで少し時間があるので、周辺を散策しました。すぐ近くで「錦木塚」を発見、謡曲「錦木」の舞台となったのがこのあたりなのだそうです、知らなんだ。その近くに「菅江真澄の道」という木柱がありました。菅江真澄、各地を旅行して、庶民生活と習俗を日記と図絵に記録した江戸中期の国学者、紀行家、民俗学者です。以前から気になっている方で、いつか「真澄遊覧記」を読破したいと思っていたのですが、ここで出会えるとは。そういえば角館で彼の終焉の地という碑を見たことがありました。菅江真澄の足跡をたどる旅というのもいいですね、「菅江真澄の道建設実行委員会」の方々、頑張ってください。
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 本日の一枚は、野中堂遺跡です。
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by sabasaba13 | 2006-01-01 07:55 | 東北 | Comments(2)
Commented by 前村 at 2006-08-28 14:40 x
神明社の奉安殿の由来が判明いたしました。大館市内の旧有浦小学校の奉安殿と思われます。秋田魁新報社のHPの記事に有浦観音堂として移築となっており、神明社のHPに有浦観音を合祀したとあります。

秋田魁新報社のHP
http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.Column.chihou?newsid=20060823ay

大館明神社のHP
http://yp.mic.ne.jp/maturi/shinmeisha.html
Commented by sabasaba13 at 2006-08-28 19:16
 こんばんは。本当にありがとうございました。一年近く咽喉にささっていた鯛の骨がとれたような想いです。自分の眼力にも少し自信がもてました。またいろいろとご教示ください。それでは。
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