東京空襲資料展

 3月10日、山ノ神といっしょに池袋・東京芸術劇場に行って「東京空襲資料展」を見学してきました。以下、チラシから紹介文を転記します。

~戦中・戦後の生活や労苦を物語る資料に加え、当時の様子を写した写真資料を展示~

 昭和16年(1941)12月に太平洋戦争は始まり、東京は昭和17年(1942)4月18日に初空襲を受けました。昭和19年(1944)夏以降、空襲は本格化し、昭和20年(1945)3月10日に現在の墨田区・江東区・台東区を中心とする下町地区に米軍のB29爆撃機約300機が来襲し大規模な空襲が行われました。この2時間余りの空襲で10万人ともいわれる尊い生命が失われました。その後も昭和20年8月15日までに100回を超える空襲が続き、東京は焦土を化しました。
 東京都は、平成2年(1990)に3月10日を「東京都平和の日」と定め、様々な記念行事をおこなってきました。また、平成13年(2001)には都立横網町公園内(墨田区横網・旧被服廠跡)に「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を建設し、その内部には犠牲となられた方々のお名前を記した「東京空襲犠牲者名簿」を納めています。本展では戦中・戦後の生活や労苦を物語る資料に加え、空襲下の東京を写した写真資料を展示しています。
 また本年度は共催市である三鷹市より、市所蔵の戦時資料の展示協力を受け、調布市からは市ゆかりの人物について、東京都の資料と併せて展示します。

 違和感を覚える紹介です。なぜ責任の所在をぼやかすような曖昧な表現をするのでしょう。「太平洋戦争は始まり」は「日本は太平洋戦争を始め」に、「この…空襲で10万人ともいわれる尊い生命が失われました」は「この…空襲でアメリカは10万人ともいわれる尊い生命を奪いました」とすべきではないでしょうか。見識を疑います。
東京空襲資料展_c0051620_17481390.jpg

 ま、それはともかく、地下1階アトリエウエストは予想外に狭い会場でした。もっと広いスペースにすべきだと思います。
東京空襲資料展_c0051620_17484477.jpg

 最大のお目当ては、空襲に遭った方々が経験談を語る映像です。その凄まじい経験に言葉を失い、一時間ほど見入ってしまいました。戦争の実相を知るために、これはいつでも視聴できるライブラリーとして整備してほしいものです。(もうされているのかな) そして同じことが今、イスラエル軍によってガザ市民に対して行なわれていることも忘れないようにしましょう。
 心に残った言葉があります。ある方がこう言われました。

 悲惨な時代だった… どうしようもない時代だった…

 「どうにかできる時代」にするよう、みんなで尽力しましょう。主権者なのですから。

 東京大空襲については、これまでも拙ブログで、「東京大空襲」、「東京大空襲2」、『東京大空襲の戦後史』(岩波新書)、映画『ペーパーシティ』といった記事を掲載してきたので、ぜひご笑覧ください。

 そして展示品と解説を見学。いくつか紹介します。

M60油脂焼夷弾筒(左)
 油脂焼夷弾はナフサネートやパーム油などをガソリンと混ぜ、鉄製の筒に詰めたナパーム弾。東京では木造家屋の密集する下町地区で大量に投下され、空襲後の罹災地域では油脂が燃え尽きた後の筒が大量に残された。
M50テルミットマグネシウム焼夷弾(右)
 昭和20年(1945)に都内で拾得された金属焼夷弾。油脂焼夷弾に比べて貫通力に優れており、テルミットで外側を包むマグネシウムを燃焼させ、着弾すると閃光を発しながら火花をまき散らし、火災を引き起こす。同年8月の八王子の空襲などで大量に使用された。
東京空襲資料展_c0051620_17513674.jpg

隣組防空群腕章
 従来からあった「家庭防火団」が昭和14年(1939)に「家庭(※隣組カ)防空群」となった。近隣10戸程度で組織された民間の防火組織で、警察の指揮統率の元、適切な消火活動ができるよう、退避や消火訓練がおこなわれた。
東京空襲資料展_c0051620_17515971.jpg

東京都区部焼失区域図
 昭和28年(1953)に東京都が発行した『東京都戦災誌』の付録地図。東京都区部で空襲により焼失した地域を色分けして示している。
東京空襲資料展_c0051620_17522098.jpg

戦後に撮影された、東京中心部と周辺
 戦後、米国によって全国各地の空襲被災地などが撮影された。
東京空襲資料展_c0051620_17523889.jpg

『国民防空図譜』 第21図 隣保班
 空襲時における防火活動や防空服装、隣組・警防団・消防署との連携や隣保共助を説いたもの。『国民防空図譜』は、めくり式の絵解き資料で、東京都で所蔵しているものは第35図まで収録されている。
東京空襲資料展_c0051620_17530898.jpg

 なおこの図譜の上部には、こう書かれています。

 『空襲時の防火にとって隣保班の陣営ほど重要なものはない 「我家は我手で護る」の信念を堅持すると共に隣保共助の精神を強化して家庭と隣組との総力で沈着機敏に防火に従事し是非とも自衛防火の徹底を期さなければならぬ』

自助、共助…あれ、公助はないのか。国家権力は市民の命や暮らしを守る気はないということですね。日本という国家の体質は、いまも戦前とあまり変わっていないようです。でも変えなければ、主権者ならできるはずです。

by sabasaba13 | 2024-03-12 05:59 | 鶏肋 | Comments(0)
<< 『パレスチナからフクシマへ』 『津島』 >>