なお渡良瀬川を渡ると小滝地区で、中国人殉難烈士慰霊碑がありますが、以前に行きましたのでその
記事をご覧ください。
このあたりに「倉沢栄吉先生」と「足尾銅山盆踊り 直利音頭」という解説板があったので、後学のために転記しておきます。
倉沢栄吉先生
日本一の国語教育の学者となった栄吉は、大正5年(1916)に5才のとき今市市から助産婦であった母と妹の3人で、足尾に移りこの地赤倉に在住し、私立古河銅山尋常高等小学校(現 本山小学校)を卒業する。以後、東京高等師範学校、文理大学を経て、文部省初等中学教育局視学官(昭和31年~39年)、東京教育大学教育学部教授(同39年~49年)、日本国語教育学会会長(同51年~ )を歴任した。傍ら、「倉沢栄吉国語教育全集」全12巻(平成元年)を出版した。足尾縁の日本を代表する一級の人物である。
※太田貞祐「足尾銅山の社会史」より引用。
足尾銅山盆踊り 直利音頭
この広場で、大正13年(1924)に赤倉町務会が「八木節」を始めたことが切っ掛けであろうか。時に、足尾銅山労働大争議(大正8・10年)で荒れた後でもあり、文化・スポーツの振興に気運が高まる中、本山坑勤務の畑中清(舟石出身)・堺正高(フランキー堺の父)等が、銅山に相応しい盆踊り唄を作ろうと、同年から毎年歌詞を募集し当選歌を社内報で発表した。お囃子、振付けも創作され、昭和2年(1927)頃に「直利音頭」に変えて踊るようになり、足尾の盆踊りとして定着し全山で盛大に行なわれた。しかし、この広場での盆踊りは平成8年を最後に思い出を残して幕を閉じた。
※直利:銅鉱を多量に含んだ良質の鉱脈。
♪ハァー 花の渡良瀬 (アーヨーイヨイと) 青葉の小滝 サー 月の眺めは チョイトサ (ハ スッチョイ スッチョイ スッチョイナ)
天の岩戸も 踊りで開く 銅山(やま)の直利も 踊りゃ出る
山は三角 やぐらは四角 踊れ兄弟 まんまるく
わたしゃ足尾の 坑夫の女房 坑内(しま)を恐がる 子は産まぬ
銅山(やま)の友子の どこ見てほれた 腕と度胸と 直利歌
運と鈍とで 開いた足尾 根で張り切りゃ 大直利♪
それではスッチョイ、スッチョイ、スッチョイナと足尾駅をめざして走りましょう。
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