青森・秋田編(24):温泉寺・北鹿ハリストス正教会聖堂・大館郷土博物館(05.9)

 さて最終日です。実は台風が東京に接近しており、秋田空港発の飛行機が欠航になるのではないかと心配です。朝の天気予報を見たかぎりでは直撃は避けられそうですが、君子危うきに近寄らず(ほんとは揺れるのが怖い)、徘徊を早めに切り上げて秋田新幹線で帰ることに決定。念には念を入れて、一昨日に指定席を押さえてあります。後日わかったのですが、チェックインをしないと料金の2/3ほど返却されるのですね。本日は大館近辺の物件と、郷土博物館と、花岡事件の史跡めぐりです。かなり点在しているので、ここでもタクシーを利用しました。
 まずは温泉寺にある安藤昌益の墓参り。江戸中期の思想家、身分を否定する平等主義の立場から、万人が生産活動に従事する「自然世」を理想とし、武士が農民を支配する現実を批判した稀有な学者です。八戸で町医者をいとなみ、大館で没したことしかわかっていないようです。合掌。
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 そして大滝温泉にある北鹿ハリストス正教会聖堂へ。1892(明治25)年に曲田の豪農畠山市之助が私財を投じて屋敷内に建てたものです。小ぶりですが、ロシア正教の基本をきっちりとおさえてある建物ですね。ニコライ堂工事関係者の手による設計だそうです。なお日本唯一の女性イコン画家山下りんの描いた聖像があるはずですが、事前連絡をしていなかったので中は見られませんでした、残念。それにしても農村風景の中に、ポコッとこの愛くるしい聖堂が姿を現した時は驚愕しました。当時の人もさぞ驚いたでしょうね。
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 さて小林多喜二生誕の碑が少し離れたところにあるのですが、時間の関係でカットし、大館郷土博物館に直行しました。閉校となった高校校舎を利用したのはナイス・アイデアです。学芸員の方にお願いして花岡事件に関する資料をいただき、昨日見た神明社の奉安殿らしき物件について質問しましたが不明だということでした。特別展は菅江真澄、病床にありながら真澄研究に尽力した内田武志という人物を知ることができたのは収穫でした。展示室は元体育館、さすがに広すぎて索漠とした雰囲気、さらに展示もぐしゃぐしゃと見づらく不満が残ります。おまけに花岡事件に関する展示もごくわずか、物足りません。救いは、安藤昌益の存在を発見した狩野亨吉(「我輩は猫である」に登場する苦沙弥先生のモデル)が、大館出身だとわかったこと。実は大学時代に、彼の蒐集した資料(「狩野文庫」)を整理するアルバイトをしたことがあり、気になっていた人物です。余談ですが、鶏肋という言葉はその時に教わりました。(鶏の肋骨。食べられないが、いい出汁がとれるので捨てるには惜しい) もう一つは、昨日見た人形道祖神をこのあたりでは「ニンギョ(人形)」あるいは「ドジン(道祖神)」と呼んでいることがわかったこと。花岡地区にけっこう残っているそうなので、運転手さんに案内してもらいましょう。さあいよいよ花岡へ向かいます。
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 本日の一枚は、北鹿ハリストス正教会聖堂です。
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by sabasaba13 | 2006-01-05 18:47 | 東北 | Comments(0)
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