青森・秋田編(25):花岡(05.9)

 花岡事件。1945(昭和20)年、秋田県花岡鉱山で起きた中国人労働者の虐待に対する反乱蜂起とその弾圧事件。太平洋戦時下、労働力不足を補うため強制連行が相次いだが、鹿島組(現鹿島)花岡事業所にも986人の中国人が連行され、過酷な労働と虐待が行われました。敗戦直前に彼らが一斉蜂起しましたが、鹿島組・憲兵・警察・在郷軍人会・消防団がこれを鎮圧、事件後の虐殺を含め45年末までに400人を上回る中国人が殺されたという事件です。郷土博物館からタクシーに乗ること15分ほどで、花岡鉱山露天掘り跡(現在は調整池)に到着しました。そして捕らえられた中国人労働者が、炎天下三日三晩水も食料も与えられずに拷問と取調べを受けた共楽館跡へ。当時は集会場・娯楽施設、現在は体育館が建っていますが、この眼前にある広場で拷問と虐殺が行われたのですね。脇にはその事実を記す碑がたてられています。日本軍・官憲・企業に拉致連行され、見知らぬ国の見知らぬ鉱山で過酷な労働を強制され、命を賭しての蜂起の後、拷問を受け虐殺される… 想像するだに肌に粟が生じます。この慄然たる出来事に対して、誰がどのような責任をとったのでしょう、あるいはとるべきなのでしょうか。中国人労働者が住まわせられた寮の跡地にたてられたという日中不再戦友好の碑を見たかったのですが、見つけられず探索を断念。
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 次に信正寺を訪問、犠牲者の亡骸を葬ったのがここの先代の住職です。そして十瀬野墓地公園にある中国殉難烈士慰霊碑を訪問。合掌。地元の方々が十数人集まり、碑を掃除されている姿が心に残りました。その一方で、この事件を忘れたい、見て見ぬふりをしたいという動きやメンタリティもあるような気がします。郷土博物館の貧弱な展示や、史跡の道しるべや案内地図が皆無であったことがその根拠です。在郷軍人会や消防団も虐殺に関係しているのですから、加害者となった花岡や大館の人々も多いと思います。ご存命かもしれないし、子・孫や縁戚・友人もいるでしょう。しかし二度と過ちを繰り返さないためにも、ぜひ記憶・記録に留める努力をしてほしいと思います。
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 と思いきや、さきほど「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(平凡社新書240)をパラパラとめくっていたら、NPO「花岡平和記念会」が立ち上げられ資料館建設に向けて尽力されていることがわかりました。また花岡川改修工事跡周辺には七つ館坑での出水事故で犠牲となった中国人・朝鮮人・日本人22人の「七つ館弔魂碑」が、信正寺裏手には「華人死没者追善供養塔」がたっているそうです。

●花岡平和記念会
http://www.oodate.or.jp/user/ishida/hanaoka/index.html

 本日の二枚は、共楽館跡と中国殉難烈士慰霊碑です。
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by sabasaba13 | 2006-01-06 06:39 | 東北 | Comments(0)
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