「パパラギ」

 「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツィアビの演説集」(学習研究社)読了。何年かに一度読み直したくなる本てありますよね、私だったらチャンドラーの「長いお別れ」、海老沢泰久の「監督」、そして本書です。久しぶりに読み直して、また新たな発見がいくつもありました。読者が歳を重ねるごとに、別の違う顔を次々と見せてくれる本というのは、そうはありません。珠玉の書です。
 身長2m、細くて柔らかい声をだし大きな黒い目をもつ西サモアのウポル島の酋長、ツィアビがヨーロッパの国々をまわり、その文明のほんの少しの素晴らしさと数え切れないおぞましさを島民に語るという内容です。なおパパラギとは、彼らの言葉で白人を意味します。
 私、読んだ本を古本屋に売り払う魂胆も、本に対するフェティシズムも持ち合わせておりませんので、記憶しておきたい文章には平気で線を引いたり、該当ページの上の端を折ったり(ドッグ・イヤー)します。気がつけば、この本の上部の厚さが1.4倍になっていました。叡智にあふれた言葉の数々! 現在のわたしたちの安楽で窮屈な生活のあり方も、その多くを西欧文明に負っている以上、彼の指摘に耳を傾ける必要があると思います。この文明は不可避かもしれませんが、決して望ましく普遍的な要素ばかりではないとあらためて痛感しました。
 ツィアビの演説の底流にあるものは、まず人間を縛るものへの憎悪です。衣服、住居、時間、財産、思想などなど。例えば衣服、肉体を罪と考えるヨーロッパ人はそれを覆い隠そうとしてやっかいな衣服を身につけます。“子どもを生み出すという地上の喜びのために触れ合う所”を隠し、足皮(靴)で足を隠し、むしろ(ブラジャー)で胸を隠す。その結果、足はいやな匂いを発して死にかけ、ものをつかむことも、やしの木に登ることもできない。またむしろにおしつけられて女の乳房に生気はなくひとたらしの乳じるもでない。生きる喜びのために使われる肉体ではなく、衣服を着るための肉体。他者の視線を意識した衣服を購入することによって広大なマーケットが生まれ、また生気を隠すことにより隠微な性欲が生まれまたそれがマーケットを生み出していく。などと今のわれわれを取り巻く状況について、考えさせられます。
 もう一つ、ツィアビが嫌悪するのが不平等です。不平等を再生産することによって稼動するヨーロッパ文明(あるいは資本主義)というシステムを、ずばりと彼は見抜いています。以下、引用します。
 だが神は、(取ってきたものをなくすという)恐怖よりもっとずっと悪い罰をパパラギに与えた。―神はパパラギに、「おれのもの」をほんの少し、あるいはまったく持っていない人と、たくさん持っている人とのあいだにたたかいを与えた。このたたかいは、はげしくつらく、夜も昼もない。このたたかいは万人を苦しめる。万人の生きる喜びを噛みくだく。
 最後の一文なぞは、カール・ポランニーが資本主義システムを「悪魔の碾き臼」と表現したことを彷彿とさせますね。この「たたかい」が科学や技術の発達と、ほんの少しの喜びを人類にもたらしたことを認めるのは吝かではありませんが、同時に戦争・帝国主義・南北問題・グローバリゼーションと、数多の苦しむをも与えています。彼の目はさらにその先を見通しています。
 私はたったひとつだけ、ヨーロッパでもお金を取られない、だれにでも好きなだけできることを見つけた。―空気を吸うこと。だがしかし、それも実際には忘れられているだけだと思う。私がこんなことを話しているのを、ヨーロッパ人に聞かれでもしたら、息をするのにもすぐに丸い金属と重たい紙(貨幣)が必要になるだろう。なぜなら、あらゆるヨーロッパ人が四六時中、新しくお金を取る理由をさがしているのだから。
 人間の生存に必要な公共財をも、地球規模で利潤追求の手段とするグローバリゼーションの現状をすでに言い当てています。今、狙われているのは水(淡水)ですね、詳しくは『「水」戦争の世紀』(モード・バーロウ/トニー・クラーク著 集英社新書0218)をどうぞ。独占する手段さえ見つかれば、次に狙われるのは空気… という息を呑むような事態も冗談とは言えません。

 それではどうすればいいのか? 「こっちにおいでよ」というツィアビの呼び声が聞こえてきますが、もちろんそちら側へはもう戻れません。とりあえずは彼の言葉を支えとしながら、粘り強く考え、行動していくしかないでしょう。
 だれかひとりがこう言うのも神の心ではない。「おれは日なたにいる。おまえは日陰に行け」 私たちみんなが、日なたに行くべきである。

by sabasaba13 | 2006-01-08 08:31 | | Comments(0)
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