谷中七福神編(1):根岸(06.1)

 年末年始、小原庄助さん的暮らしをしていたら、心なしか布袋腹のようになりつつあり、これはいかんと思って、運動をかねて七福神めぐりをすることにしました。それにしても、決められたいくつかの場所をめぐり、その証をもらってもどってくるという行為を好む日本人の感性というのは興味がありますね。八十八ヶ所、三十三ヶ所、七福神、スタンプラリーなどなど。何故なのだろう? 数を積み重ねれば、願いが叶いやすくなるという信仰なのかな。
 それはともかく、隅田川七福神は何度も行ったので、他の所を調べてみたら、何と都内には四十ヶ所以上の七福神があるのですね。今回は都内最古という谷中七福神を選びました。

●東京都の七福神 http://park1.wakwak.com/~hisamaro/1toiawase.htm

 コースとしては、根岸を徘徊して上野公園を抜けて不忍池に出て、弁天堂を出発点にしてみましょう。道案内は「江戸東京歴史の散歩道1」(街と暮らし社)です。このガイドブックは解説が詳しく地図が正確なのは結構なのですが、該当箇所を地図ですぐ見つけられないのが難。ま、急ぐわけではないので、のんびり捜しながら歩きましょう。少し寒いけれど、雲ひとつない快晴の日曜日、まずはJR鶯谷駅で降り、駅前の喫茶店でモーニング・サービスをいただきながらコースを確認しました。だいだい腹案がかたまり、いざ出発。豆腐料理で有名な「笹の雪」近くの路地に入り、子規庵をめざします。おおっ、ほんとにここにあるのかい? 林立するラブ・ホテル群にびっくりしました。最近入、もとい、全く入ったことがないのでよく事情はわかりませんが、こんな掲示を見ると経営も大変そうですね。
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 しばらく歩くと、道が細くなり多少風情らしきものが感じられます。でも季語に「根岸の里の侘び住い」をつけると、俳句になってしまうという往時の面影はありません。初春や根岸の里の侘び住い… その一画に子規庵がありました。正岡子規が没するまで住んでいた所で、戦災で焼けた住居を復元し、遺品などを展示してあるそうです。「仰臥漫録」はここで記されたんだ… 感無量。休館でしたが、これは想定済み。また来ることにします。向かいは中村不折(画家・書家)の住居跡で、彼が収集した書を展示する書道博物館となっていますが、ここも休館。森鴎外の墓碑銘「森林太郎」を揮毫したのが彼でしたね。
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 一本隣りの道にはねぎし三平堂があります。林家三平の資料館ですが、周囲を圧する三階建てビルと、600円という高額な入場料に違和感を覚え、入らず。彼岸の三平師匠はこれを見てどう思っているのかな。「どーもすいません、でも入ってくださいよお」という声が聞こえてきそう。なお古今亭志ん生による三平の真打ち披露口上は傑作ですね。すぐ近くに襖引手資料館兼店舗もあり、家具職人が多い街だという雰囲気を伝えてくれます。
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 ここから柳通りを下谷へと歩きますが、途中で戦前の物件らしい理髪店と遭遇。「整○浄髪」という額がいいですね、不学のため一字読めませんが。
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 高いけれど美味しい洋食屋「香味屋」の前を通り過ぎて、金杉通りへ。出桁造りの民家や看板建築が点在しますが、以前よりかなり減ったような気がします。しばらく駅の方へ歩くと、肉のえびすやを発見。フライ類をその場で揚げて売ってくれる肉屋で、メンチ・ポテト・ハムかつという揚げ物三種の神器をとりそろえています。個人的なチェックポイントとしては、メンチ:タマネギが入っていない、ポテト:一口で食べられる大きさ、ハムかつ:できるだけ薄いハムを使用、なのですが、この店はどうでしょう。再来を期す。
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 近くに小野照崎神社があります。平安期の学者小野篁(たかむら)が祭神、特筆すべきは富士塚です。江戸時代に富士浅間信仰が流行し、富士山を模した築山が江戸各地につくられましたが、ほぼ当時の状態で残されているようです。高さ5mほど、溶岩をしきつめ様々な碑が並び建つ見事なものです。残念ながら7月1日の富士開きの日にしか登れないようですが、見るだけの価値はあります。また古い庚申塔や奉納された力石、金網に閉じ込められた猿の石像などもあり、楽しめます。猿といえばたしか日枝神社の神使ですよね、どういう関係があるのでしょう。何故金網の中に閉じ込められているのか、謎は謎を呼びます。
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 そして入谷鬼子母神へ。(上部の点がない「鬼」という字が出てこない!) ここは下谷七福神の福禄寿があり、賑わっていました。少し先の交差点には、尾形乾山窯元の碑がありました。隣りには、坂本小学校(廃校)の見応えある校舎があります。大正期頃のものでしょうか、尖頭型の三連アーチと放物線状の塔がいいですね、ぜひ保存して欲しいものです。さて、ここから陸橋を渡って上野公園へと向かいましょう。
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 本日の一枚は、小野照崎神社の富士塚です。
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by sabasaba13 | 2006-01-10 06:10 | 東京 | Comments(0)
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