被団協にノーベル平和賞

 被団協がノーベル平和賞を受賞したという嬉しいニュースが飛び込んできました。NHKニュース(24.10.11)を引用します。

ノーベル平和賞に日本被団協 核兵器廃絶訴え

 ことしのノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞することになりました。核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが受賞理由となっています。日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりです。

 ほんとうにおめでとうございます。核兵器廃絶のために長年にわたって続けられたご努力に心から敬意を表するとともに、私も微力ではありますが核兵器廃絶のために力を尽くしたいと思います。

 核兵器がきわめて非人道的な兵器であり、絶対にその存在を許してはなりません。なぜか? その理由について『「黒い雨」訴訟』(小山美砂 集英社新書1122)から引用します。

 原爆が「非人道兵器」であり、その存在を許してはならない理由は、熱線や爆風による殺傷能力だけではない。他の兵器と比べた最大の特徴は、放射線を放出する点にあるだろう。放射線は細胞を傷つけ、壊し、出血や脱毛といった急性障害の他、がんなどの深刻な病を引き起こす。原爆の惨禍を生き延びた人にも、被ばくの影響がいつ、どのようなかたちで表出するかわからない。放射線の人体に対する影響は完全に解明されてはおらず、今も研究と議論が続く中、被害者の心身は蝕まれ続けている。そして、その影響に対する不安は世代を超え、放射線による被害に「終わり」は見えない。(p.24)

 完全には解明されていないが放射線が人体に与える悪影響と重い病、それらおよびそれらに対する不安が世代を超えて心身を蝕む。人間の尊厳を踏みにじる、文明の"狂気"が生みだした"凶器"です。
 ただこのニュースに関する報道で、非常に気になる点があります。それは「核戦争勃発の危険性が近年高まっている」という物言いです。それだけではないでしょう。三つほど指摘します。

 一つ目。核戦争勃発の危険性は、核兵器が登場してからずっと続いており、近年高まったわけではありません。核戦争は、意図的な核攻撃だけではなく、ヒューマン・エラーとメカニック・トラブルによっていつでも起こり得ます。『アメリカ 暴力の世紀 第二次大戦以降の戦争とテロ』(ジョン・W.ダワー 岩波書店)から引用します。

 核兵器関連事故や事件は、核兵器で睨み合っていた米ソの両国で頻繁に起きていたのは疑いないことだが、我々にとって入手可能な関連資料はアメリカのほうに多くある。国防総省自体は、32件の重大な核兵器事故があったと認めているが、調査記者として有名なエリック・シュロッサーによって暴露された国防総省内部調査によると、1950年から68年初めの間に、少なくとも200件の「重大」事故があったことが判明している。アメリカの核兵器事故に触れている別の研究者は、1977年から1983年の間の機密資料によると、毎年43件から255件の数の事故があったと書いている。
 こうした事故のほとんどは、二大超大国を核戦争一歩手前まで追いやるような危機的なものでは全くなかった。しかし、その一方で、スタンリー・キューブリック監督が製作した、1964年公開のこっけいな風刺映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』の話に似たような、危機一髪状態を生み出した異常な事故のケースも幾つかあった。大規模報復を考える集団思考という極めて不安定な状況の中では、鳥の一群、雲に反映した太陽光線、昇ってくる月、警告装置に誤って入れられた訓練用の録音テープ、46セントという安価なコンピューター・チップの故障といった些細なことが、ソ連による核攻撃の可能性という重大な警告を呼び起こす引き金となった。逆にソ連は、北極のオーロラ光を調査するノルウェー気象観測ロケットに怯えて、慌てふためいたことがあった。(中略) …こうした具体例は、バトラー将軍や実際にこうした事故を体験している人たちには「一連の事故と事件の危険な状態」を思い起こさせるものであり、核戦争が起きなかったのは、核抑止力が機能したからというよりも、偶然の運と神の介入のおかげだと彼らが考える理由でもある。(p.44~6)

 そう、これまで核戦争が起きなかったのは、単なる"偶然と幸運"によるものだと肝に銘ずるべきです。

 二つ目。核兵器は、たとえ核戦争が起きなくても、ただ存在するだけで人間の尊厳を脅かす放射線を出すという点です。しかも未来永劫にわたって。『なぜ原爆は悪ではないのか アメリカの核意識』(宮本ゆき 岩波書店)から引用します。

 放射能がもたらす健康被害、環境汚染… (中略) …「核」というものが、ウランの発掘、精製の過程から、兵器として組み立てられ、実験として使用され、あるいは未使用のまま、古くなったものとして解体され廃棄される、こうした全プロセスで人体と環境に悪影響を及ぼし、それは何万年も続く、という事実… (p.211~2)

 中でも、核実験によって発生した放射性降下物が多くのアメリカ市民の命と健康を脅かしたかについては、映画『サイレント・フォールアウト』が克明に伝えてくれます。

 そして三つ目。核兵器の開発や製造には莫大な資金が必要です。それによって、本来は貧しい人びとのために使われるべき公的資金が、核兵器によって食い潰されるという点も忘れてはなりません。言い換えれば、核兵器が貧しい人びとを緩慢なる死に追い込んでいるのです。ローマ教皇フランシスコによるクリスマス・メッセージ(2023)から引用します。

 平和の君に「イエス」と言うことは、戦争に、すなわちあらゆる戦争、戦争の論理そのもの、目的地なき旅、勝者なき敗北、弁解できない狂気に「ノー」と言うことです。しかし、戦争に「ノー」と言うためには、武器に「ノー」と言わねばなりません。なぜなら、定まらない傷ついた心を持った人間が、死の道具を手にすれば、いずれはそれを使うだろうからです。また、武器の製造、売買、取引が増えるならば、どうやって平和を語ることができるでしょうか。今日、ヘロデ王の時代のように、神の光に逆らう悪の計略が、偽善と隠蔽の陰で動いています。どれほどの武力による虐殺が、耳をつんざく静寂の中で、多くの人が知らぬ間に行われていることでしょうか。人々は武器ではなく、パンを求めています。日々の生活の維持に苦労し、平和を願っています。しかし、人々は軍備にどれだけの公的な資金が費やされているかを知りません。本来それを知るべきなのです。戦争の糸をあやつる利害や儲けが人々の知るところとなるように、それについて語り、記すべきなのです。

 以上、三点から言って、核兵器は人間の尊厳を踏みにじる究極の非人道的な兵器です。ヒューマン・エラーやメカニック・トラブルによっていつでも核戦争起きる可能性があり、その製造や実験や廃棄によって日常的に命を踏みにじる放射線を排出し、巨額の公的資金が注がれることによって人びとの暮らしを脅かす。

 あらためて核兵器の存在に"否"と言い、その廃絶を訴えます。

 そして「核兵器による安全保障(核の傘)」を理由に、核兵器禁止条約に調印どころか、締約国会議にオブザーバー参加すらしようとしない日本政府に対しても、一刻も早く条約に調印することを求めます。
 その上で、核兵器保有国の市民に対して、前述の三点、偶発的な核戦争の危険性、核兵器の保有による日常的に命を脅かす放射線の排出("アメリカは核大国であるゆえに被ばく大国" 『なぜ原爆は悪ではないのか』p.212~3)、そして核兵器への莫大な公的資金の投入が貧しい人びとを追いつめているという現実を、地道に継続的にアピールしていくべきだと考えます。

 「核」は人間と共存できません。
 NO NUKES !

by sabasaba13 | 2024-10-12 07:03 | 鶏肋 | Comments(0)
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