それでは次の物件へと参りましょう。自転車にまたがって向かうは誓元寺。こちらに
奉安殿があるという情報をキャッチしました。久しぶりだなあ。現地に到着すると法事の真っ最中で、残念ながら近づけませんでした。旧常磐尋常高等小学校の奉安殿だそうで、現在は光雲殿という施設として利用されています。遠目で見るかぎり鉄筋コンクリート造のようで、中央頂部にあるドームがアクセントになっています。

そして諏訪公園内にある旧四日市市立図書館へ、地元の実業家熊沢一衛が四日市市に寄付した
図書館だそうです。正面に付けられた四本のピラスター(付け柱)と縦長の窓が調和しています。外観はスクラッチタイル張りの洒落た建築です。現在はこどもの家(児童館)として利用されています。

それでは末広橋梁を見に行きましょう。途中で海を隔てて巨大な工場群が見えましたが、あれが市民を塗炭の苦しみに陥れた四日市コンビナートですね。

「潮吹き防波堤レプリカ」という模型が野外展示されていましたが、何じゃこりゃ。

港の一角、"旧港"と呼ばれる地区に、五角形の穴が整然と並んだ石積みの旧い護岸が残る。長さ199m、緩やかに彎曲している。「潮吹き防波堤」の現在の姿だ。1952年(昭和27年)の港外側の埋め立て工事により、防波堤としての役割は終えたが、往時の面影を今に伝えている。
古くから天然の良港として栄えた四日市港が、近代港湾として整備されたのは、1884年(明治17年)のことである。地元で廻船問屋を営んでいた稲葉三右衛門が私財を投じ、11年の歳月をかけて港の基礎を造った。
10年後に、今度は県営事業として改修工事が行われた。暴風雨や台風により、稲葉翁築造の防波堤が破損したためだ。「潮吹き防波堤」は、この改修工事で築造された。
この防波堤は、世界的にも珍しい構造を持つ。港外側の小堤(高さ3.7m)、港内側の大堤(4.7m)の二重構造で、さらにその間には溝が設けられているのだ。溝は港内側の五角穴に通じている。これらは、波を防ぐとともに防波堤自体も守ることを意図した仕組み。まず小堤で波を受け、乗り越えた波をさらに大堤で受け止めて、穴から港内側へ噴き出す。「潮吹き防波堤」の名の由来である。対岸の稲葉翁記念公園には防波堤のレプリカがあり、潮吹き穴から水が流れ出す様子を見ることができる。
このユニークな構造を考案したのは、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケと言われている。デ・レーケは、明治政府に招かれたお雇い外国人の一人で、30年以上日本に留まり、各地の港湾土木工事で功績を挙げた人物。より堅固な防波堤をとの思いが、このような構造を生み出したのであろうか。
自然石の石組みをがっちり固めているのは、工事を請け負った三河の服部長七が、左官技術を応用して考案した人造石"長七たたき"。"たたき"とは、土間などに使われる消石灰と真砂を水で練り固めたもので、人造石工法はこれを応用したもの。コンクリート工法が普及する前、セメントにも匹敵する強さを持った優れた工法として土木工事を支えた。日欧の最新技術の融合が、潮吹き防波堤を生んだと言えよう。
潮吹き防波堤は、周辺の施設とともに1996年(平成8年)に、港湾施設としては初めての重要文化財(建造物)に指定された。
なるほど、防波堤を守るための機能なのか。実際に波が打ち寄せて五角形の穴から噴き出すところを実演してくれていました。対岸には、実際の「潮吹き防波堤」を遠望することができました。

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