40分ほどで軍艦島が見えてきました。まずは島を一周して、さまざまな角度からその全体像を眺めさせてくれました。

そしてドルフィン桟橋に接岸、いよいよ上陸です。なお桟橋は台風で二度流失し、これは三代目だそうです。

まずは第1見学広場へ、手前に、今は支柱のみ残る貯炭ベルトコンベアー。精炭(精選された石炭)は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。

その向こうには69号棟端島病院が見えました。炭坑マンや島民たちの健康を守ってきた島内唯一の病院で、レントゲン室には朽ち果てたエックス線撮影機などが残っているそうです。その右隣が端島小中学校、1958(昭和33)年に建設されたこの建物は7階建てで、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書館、音楽室、7階には理科室などの特別教室が設けられていました。1970(昭和45)年には体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターもありました。

そして第3見学広場へ、眼前にあるのが総合事務所、鉱山の中枢であったレンガ造りの建物です。総合事務所の中には、炭鉱マンのための大きな共同浴場があり、浴槽はいつも真っ黒だったそうです。

1916(大正5)年に建てられた30号棟は、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート。鉱員住宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店もありました。なお
廃墟に満ちた灰色の世界で、白一点、白亜の灯台が見えますが、閉山の翌年に航海安全のために設置されたそうです。

最後は第3見学広場、石積みの護岸がありましたが、これは「天川の護岸」と言うそうです。明治期、島の拡張に伴う護岸づくりは、石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法により盛んに行われました。

ほとんどの鉱山施設が崩壊しているなかで、主力坑の第二竪坑竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分(第二竪坑入坑桟橋跡)がかろうじて残っています。命の階段と呼ばれたそうです。

というわけで一時間弱の滞在でしたが、念願叶って軍艦島に上陸することができました。荒海の中に浮ぶこの孤島で、かつて何千人もの坑夫とその家族が肩を寄せ合って暮らしていたことを思うと感無量です。そして閉山とともに町は打ち捨てられ、今は廃墟と化しています。島を去らざるを得なかった人びとの望郷の念はいかほどのものでしょう。近代化とは、経済成長に役立たなくなったものをスクラップにしながら、轟音と土埃とともにひたすら前進し続けるものなのだと痛感しました。
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