百物語

百物語_c0051620_12235679.jpg 練馬文化センターで芝居を観たときに、「『百物語』 白石加代子」というチラシをもらいました。百物語とは、100本の蝋燭のまわりに集まった人たちがそれぞれ恐い話を語り、終えると火を消し、100話を語り終えて最後の蝋燭が消されると本物の物の怪が現れるとされる催しですね。チラシの紹介文を引用します。

 明治から現代の日本の作家を中心に、「恐怖」というキーワードで選び、幻想文学の傑作作品から現代作家の人気作品までの幅広いレパートリーと、白石加代子の朗読という枠を超えた立体的な語りと動きの上演による人気シリーズ。

 これがとてつもなく面白いという噂をどこかで聞いたことがあります。朗読劇は観たことがないし、練馬文化センター小ホールは自宅のすぐ近くだし、山ノ神を誘って観にいくことにしました。客席は老若男女で満席(女性が多いかな)、かなり人気の高いシリーズのようです。

 本日の演目は二つ。まずは高橋克彦原作の「遠い記憶」です。ある小説家が、仕事の関係で幼い時に暮らした盛岡にひさしぶりに行くことになります。彼は不自然なくらいに盛岡についての記憶はありません。父はすでに亡くなっていますが、存命の母に盛岡について訊いても冷たくあしらわれます。盛岡に着き、編集者・カメラマンとともにタクシーで町をまわるにつれて徐々に記憶が蘇ってきます。さらに世里子という料理屋を営む謎の女性が盛岡の町の案内をしてくれますが、それにともない過去の記憶がより鮮明に蘇ってきます。そして彼の記憶の核心となるある家に導かれることによって、幼い時に彼が経験した恐るべき出来事が完全に明らかとなります。それは…

 もちろん、結末は述べません。観てのお楽しみ。上品な和服を身にまとった白石加代子が本を片手にして朗読をしながら話を進めますが、その話術の巧みさには舌を巻きました。間のとり方、抑揚、強弱、表情、あらゆる手段を使って、観ている者をぐいぐいと引きつけていきます。これに舞台上で移動するさまざまな動き、表情や所作の変化が加わり、物語の世界に引き込まれていきました。少しずつ謎が解き明かされ、そして最後に決定的な恐怖が突きつけられる。息を呑むようなひと時でした。

 休憩をはさんで、後半は阿刀田高原作の「干魚と漏電」です。打って変わって、ロリータ風、カントリー風の衣装を身にまとって登場。主人公の一人暮らしの老女は、たいへん几帳面かつ節約家なのですがどこか間の抜けて人のよい方です。新居に引っ越しをしたばかりなのですが、冷蔵庫に入れたシシャモのことを忘れてダメにしてしまい、ぶつぶつぼやきます。(伏線) そこへ電力会社の集金人がやってきますが、彼女は電気料金が高いと文句を言って支払おうとしません。何でも、前の家とまったく同じ電気製品を使用しているのに、料金が千円ほど請求されており納得できないとのこと。彼女はリアリストでもあり、新居には過去に、事故死した人、蒸発した人、自殺した人がいるのに意に介さず家賃が安いので引っ越してきたので、理由もわからずに電気代が上がったことに不信感を抱きます。(伏線) それをあの手この手で説得しようとする集金人とのコミカルなやりとりは笑えました。彼女は漏電の調査をしてくれと強く主張。そして後日やってきた担当者が調べるうちに、これまでの伏線が一気に結びつくような驚きの、そして恐怖の結末がやってきます。それは…

 もちろん明かしません。前半のシリアスな雰囲気とは一転してコミカルな雰囲気ですが、話術・所作・表情・動きを駆使して観る者/聴く者をぐいぐいと物語の世界へと引き込む巧みさは変わりません。語りがコミカルなだけに、最後の驚くべき結末が衝撃的でした。

 というわけで、物語の魅力を堪能できた至福のひと時でした。白石加代子氏の見事な芸によって、想像力が羽ばたき物語の世界に没入することができました。いまの日本や世界が抱えている危機的な状況を乗り越えるための一つの鍵は、ある状況や人物について思いをめぐらせる想像力にあると思います。それを涵養させてくれるのが朗読であり、広く言えば芸術ではないでしょうか。学校教育でビジネス・トークや投資について学ぶよりも、子どもや若者にもっと朗読を聴かせてあげたいな。
白石加代子の「百物語」、また機会があったら絶対に聴きにいきます。

by sabasaba13 | 2025-02-09 07:20 | 演劇・落語 | Comments(0)
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