「SAYURI」

 声楽を習っている山ノ神が、先日ニコニコしながら帰ってきました。先生に「夜の女王のアリア(『魔笛』より「地獄の復讐がこの胸にたぎる」)の一番高い音(F♯?)が出てますね、素晴らしい」と褒められたそうです。CDにあわせて、アハハハハハハハハーと上機嫌で歌いながら、「私は夜の女王よお、あなたのことはパパゲーノと呼んであげる。」 やめてくれ。 クサンチッペと呼びかえすぞ。

c0051620_917227.jpg ま、それはさておき映画「SAYURI」を見てきました。竹:満足、元は取った、というところですね。スピルバーグ製作、ロブ・マーシャル監督による、二次大戦前後におけるある日本人芸者の一代記です。貧困の中、ある男性との出会いから一流の芸者となる決意をし、ライバルの妨害をはねのけ芸を磨き、花街一の芸者となるが戦争によりすべてを失い、そして最愛の男性と再会するというストーリー。単純な話なのですが、芸達者がそろっているので飽きさせません。中でも主演のチャン・ツィイーと主人公の子供時代を演じた大後寿々花のうるうるとした目の魅力にはまいりました。
 それにしてもなぜこのような映画をつくったのか疑問に思いました。パンフレットによると、製作者の意図は日本文化に対する興味と敬意を表現したかったとのことです。家屋、街並、庭園、歌舞、着物、化粧、そして何よりも芸者という存在。春を売らずに芸道を極める女性という存在は、欧米文化からすると珍しいのかもしれませんね。ステロタイプとなっている「ゲイシャ」というイメージを壊そうとしたのかもしれません。ただ丸窓の多い家屋や、中国風四阿(あずまや)のある庭園など、かなり違和感を感じました。出演者の証言によると、監督のイメージによる「日本の美」の再現したということなので、これは意図的なものですね。われわれが「日本の美」に対してもつイメージだって画一的で単純なものですから、別段責めるいわれはありません。
 確かに美しい映像と面白い話で満ちている映画なのですが、全体的に薄っぺらいという印象です。イツァーク・パールマンとヨー・ヨー・マが挿入曲を演奏しているのですが、この二人の演奏のように美しいけれど何も心に残らないという感じ。チョン・キョンファと故ジャクリーヌ・デュ・プレが演奏していたら相当違った印象になるでしょうね、無理だけれど。
 帰りながら、座席からしばらく立てなくなるような映画を見たいね、などと山ノ神と話しました。もし死ぬ間際に一本だけ映画を見られるとしたら、私は『ブラス』、彼女は『山の郵便配達』。
by sabasaba13 | 2006-01-15 09:18 | 映画 | Comments(0)
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