日本ペンクラブの緊急声明

 いくつかの政党が得票欲しさに外国人の排斥を競い合っている選挙戦に、とてつもない危惧を覚えています。こうした政党が議席の過半数を得れば、日本は人種差別を国是とする低劣な国になってしまうのでしょうか。身の毛がよだちます。
 日本ペンクラブも、こうした事態を見過ごせず、下記のような緊急声明を発表しました。

「選挙活動に名を借りたデマに満ちた外国人への攻撃は私たちの社会を壊します」
 私たちは、このまま社会が壊れていくのを見過ごすことはできません。
 参議院選挙を通じ、与野党を問わず、一部の政党が外国人の排斥を競い合う状況が生まれています。しかも、刺々しい言葉で、外国人を犯罪者扱いし、社会の邪魔者のように扱うことが、さも日本の社会をよくするかのように振舞っています。
 「違法外国人ゼロ」「日本人ファースト」「管理型外国人政策」など、表現の仕方は違えど、外国人を問題視するような政策が掲げられ、「外国人犯罪が増えている」「外国人が生活保護や国民健康保険を乱用している」「外国人留学生が優遇されている」といった、事実とは異なる、根拠のないデマが叫ばれています。これらは言葉の暴力であり、差別を煽る行為です。こうしたデマと差別扇動が、実際に関東大震災時の朝鮮人虐殺等に繋がった歴史を私たちは決して忘れることはできません。
私たちはこれまで、過去の反省に立って多文化共生社会をめざし、すでに多くの自治体ではそのための条例も施行されています。そうして少しずつでも、成熟し前進してきた民主主義社会が、一部政治家によるいっときの歓心を買うための「デマ」や「差別的発言」によって、後退し崩壊していくことを、私たちは決して許しません。
民主主義社会を守るために、有権者がいま一度立ち止まり、自身の一票を大切に行使することを願います。

 2025年7月15日
 一般社団法人日本ペンクラブ 会長 桐野夏生 理事会一同

 私も確かに、関東大震災時の朝鮮人虐殺のことを思い起こしました。その状況が酷似しているのが気がかりです。以前にも掲載した内容ですが繰り返します。
 当時の日本の民衆が置かれていた状況です。第一次世界大戦による大戦景気の後に起こった1920年恐慌は、企業の倒産・整理による多数の失業者を生み出しました。その結果、数多の労働争議やストライキが発生することになります。その一方で、1921(大正10)年の東京府の自殺者・自殺未遂者は1,286人(『読売新聞』 1922.7.22)。また中産階級や会社員・帝大卒業生にもこの不景気はおそいかかり、「サラリアート」(サラリーマンとプロレタリアートを結合した造語)という熟語ができるほどの社会問題となります。(略) これに対して政府は、内務省社会課長田子一民が『東京日日新聞』(1920.8.18)で、「実に気の毒だとは思つてゐるが、私はまだこれに就て政府と何も相談してゐない」「最初から政府が救済する事は宜しくない。原則としては飽迄も個人の独立自営心に任すと言ふ事にしたい」と語っているように、原則的には救済を行わない考えでした。

 そしてこの時期の東京市民を、「日本宗教学の祖」と呼ばれる姉崎正治は、次のように観察していました。

 突撃衝動の極めて原始的の現れは、今日東京市中には到る所に見られる事実であつて、あの混雑した電車の乗降や車中で、他人につきのけられると、こちらもつつかつゝて、人々が互に突撃性を、断片的ながら、赤裸々に発露して居る。此の如き人間の突撃性発表は、たしかに本能的で天性に違ひないが、而かもそれを多くの人が赤裸々に発表するのは、無能な行政の結果、電車では人間が文明とか礼儀とかいふ天性の琢磨を維持することが出来ず、殆ど動物的状態に還元せられるから生ずる現象に外ならぬ。(「本能性の爆発とその整理」 『中央公論』 1921.5)

 人びとの経済的苦境、それに対して自己責任だとして放置し策を打たない行政。結果として「突撃性」「動物的状態」といった心性が人びとに蔓延する。今で言えば、SNSによる罵り合いでしょう。ここにデマや扇動によって外国人に対する憎悪と敵意がかきたてられたら… 大震災時のような惨劇は起こらないと信じたいのですが、断言はできません。

 外国人を貶め、日本人を讃える。それが何をもたらすか、先人の言葉に耳を傾けましょう。近衛師団長の代理として臨時衛戌司令官に就任した第一師団長・石光真臣の言です。

 国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遥かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争をしている。僅かな意見の相違や派閥や行きがかりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追い込んでしまう。情けないことである。なにか大きいものが間違っていて、私たち人間を奴隷のようにかりたてている。一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己れを律して暮して来たが…だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯懦と誤解と無知と惰性によって作られたことはなかったか。胸の中が熱くなり、また冷えた。(『誰のために』より)

by sabasaba13 | 2025-07-18 07:19 | 鶏肋 | Comments(0)
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