『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』

『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』_c0051620_12113592.jpg [座・高円寺]ドキュメンタリーフェスティバルで、『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』を観てきました。実は以前に「ポレポレ東中野」で観たことがあるのですが、素晴らしい映画だったので再見してきました。その時に上梓した映画評を再掲しますがご海容ください。

 公式サイトより、映画と「沖縄戦の図」についての紹介、そして河邑厚徳監督からのメッセージを引用します。

 広島・長崎の核爆発の凄絶さを《原爆の図》15部に描きつづけた丸木位里・丸木俊が、晩年に取組んだのが地上戦を体験した沖縄戦だった。
 「沖縄はどう考えても今度の戦争で一番大変なことがおこっとる。原爆をかき、南京大虐殺をかき、アウシュビッツをかいたが、沖縄を描くことが一番戦争を描いたことになる」(丸木位里)
 「戦争というものを、簡単に考えてはいけないのです。一番大事なことがかくされて来た、このことを知り深く掘り下げて考えなければなりません」(丸木俊)
 このドキュメンタリーは、全14部をすべて紹介する初めての試みである。地上戦を生き延びた沖縄の人びとの切実な「命どぅ宝(命こそ宝)」に共感共苦した、丸木夫妻の「人間といのち」への深い鎮魂と洞察の軌跡をたどる物語である。

沖縄戦の図 全14部
 1982~87年、丸木夫妻は沖縄に通い続け、地上戦の「現場」に立ちながら沖縄戦を連作14部に描いた。ふたりは、沖縄島や近隣諸島をめぐり、体験者の話に全身全霊を傾け、沖縄に関連する160冊以上の本を読み、研究者を訪ねた。戦後78年、いまなお癒えることのない戦争の心の傷から絞り出すように語られた証言に〈かたち〉を与えていった。
 全14部は、宜野湾市の佐喜眞美術館にすべて収蔵されている。

河邑監督からのメッセージ
 2022年は、復帰50年となり、メディアはこぞって沖縄戦を取り上げた。その中にあって、この映画は絵画だけで戦争の全体像を浮き上がらせようとする一つの試みである。歴史は時間とともに遠くなり忘れられていくものだが、絵画はいつも見るたびに、いま現在の体験となる。時間を止めてリアルタイムで戦争の災禍を伝えられるのは藝術の持つ力である。昨年の慰霊の日に小学二年生の徳元穂菜さんは佐喜眞美術館で見た〈沖縄戦の図〉に衝撃を覚え平和の詩を作った。このように世代を超えて沖縄戦を伝えることは画家の願いであった。画家・丸木 位里、丸木 俊の大作〈沖縄戦の図〉は広島・長崎の原爆の図を描き上げた後に制作した戦争悪と日本軍の愚かさを未来へ伝える世界レベルの作品である。位里は「沖縄を描くことが一番戦争を描いたことになる。沖縄戦の写真はすべてアメリカが映した写真。日本人がとったのは1枚もない。日本人側からみたかたちを残しておかなきゃならん」と語り、俊は「この絵は私たちと戦争体験者との共同制作です」と話す。最晩年の二人が激戦地を歩き、遺族に会い、琉球文化と芸能を創作のエネルギーに渾身の14作が生まれた。その絵を沖縄に全作品を置きたいという真摯な願いにこたえて、その全作品は宜野湾の佐喜眞美術館に収められた。このアートドキュメンタリーは全14部をのこらず紹介する初めての試みであり、画家の思考の軌跡をたどる謎解きの物語となった。ウクライナでの戦争が続く今こそ、アートは平和の祈りを運ぶ箱舟である。

 私も山ノ神も佐喜眞美術館で沖縄戦の図」を観て、心を揺さぶられた思い出があります。ただ連作14部をすべて観ることはできませんでした。
 この映画では、14部すべての絵とそのクローズアップ、そのテーマについての解説、そして丸木夫妻の画像やさまざまなエピソードを紹介しています。なお、そのタイトルは「久米島の虐殺(1)」「久米島の虐殺(2)」「亀甲墓」「自然壕(ガマ)」「喜屋武岬」「集団自決」「暁の実弾射撃」「ひめゆりの塔」「沖縄戦の図」「ガマ」「きゃん岬」「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」です。

 心に残った作品をいくつか紹介しましょう。まず「久米島の虐殺(1)(2)」です。沖縄戦の際にこの島で日本軍による島民と朝鮮人の虐殺が行われました。アメリカ軍による降伏勧告を届けに来た郵便局員、アメリカ軍に捕らえられて解放された家族、そして朝鮮人の父をもつ家族… 鹿山兵曹長ひきいる海軍通信隊による犯行です。鬼のような形相で日本刀を振り上げる兵士と、そのもとにうずくまる母と子。縛り首にされた犠牲者と、その縄をひきあげる日本兵。絵の上部をおおいつくす紅蓮は炎でしょうか、血でしょうか。軍隊がもつ非人間性と狂気を、丸木夫妻は余すところなく描きつくしています。
 「集団自決」は、1941年3月28日、アメリカ軍が慶良間諸島に上陸したという知らせでパニックに陥った329名の渡嘉敷島民が追い込まれた集団自決を描いた絵です。鎌をふりあげて肉親を殺そうとする老人、血まみれで横たわる女性と子どもたち。凄惨な絵ですが、「目を背けてはいけない」という丸木夫妻の声が聞こえてくるようです。なお『写真記録 総史 沖縄戦』(岩波書店)のなかで、著者である大田昌秀氏は、「集団自決」ではなく「強制集団死」と呼ぶべきだと主張されています。まず「自決」とは軍人が使う言葉で、民衆の行為に使うのはふさわしくないという点。そして米軍に捕えられると悲惨な目にあわされるから死を選べと日本軍に追い込まれ、肉親を殺害し最後に自死したという点から、"強制"という言葉を入れるべきだという点です。
 「暁の実弾射撃」は、現在も行なわれているアメリカ軍による県道104号線を封鎖しての実弾砲撃演習に抗議する人びとを描いた絵です。有刺鉄線で雁字搦めに縛られながらも、毅然とした表情でこちらを見つめる人物が心に残ります。米軍基地の鉄条網の前では機動隊が立ち並んでいますが、ジュラルミンの盾で顔が見えません。丸木夫妻は、人間としての顔を持たない軍隊の本質を表現したのではないでしょうか。フランシスコ・デ・ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』を思い起こしました。
 「ひめゆりの塔」は衝撃的な作品です。ひめゆり部隊の女学生たちの苦悶にみちた顔が虚空に数多浮かぶ中、皇太子夫妻(当時)が献花を行なっています。そこに新左翼系活動家が火炎瓶を投げつける場面を、丸木夫妻は描きこんでいます。なぜ? 「自分の頭で考えてください」という夫妻からのメッセージだと受け止めました。天皇制護持のために、米軍に相応のダメージを与えることにこだわり戦争を長引かせた昭和天皇の戦争責任について、私は思いを馳せました。なお火炎瓶を皇太子夫妻に向かっていままさに投げつけようとする人物を背後から撮影した写真が存在するのですね。はじめて知りました。
 「沖縄戦の図」はこの連作の中心となる、4m×8.5mの大きな絵です。沖縄戦のあらゆる様相が描き込まれています。
 「チビチリガマ」は、米軍上陸直後、このガマ(鍾乳洞)に避難した村人83人の集団自決(強制集団死)を描いた作品。画面をうめつくす無数の死者に言葉を失います。竹槍をもった三人はいったい、どこへ、何のために向かうのでしょう。
 「シムクガマ」は、チビチリガマの近くにあるガマで、やはり地元民が避難していました。ここでも強制集団死に追い込まれる可能性もあったのですが、ハワイ帰りで英語が話せる人がいて、米兵とのやりとりから捕えられても殺されることはないと分かり、みんなを説得してガマから出て全員無事でした。この絵では人物は一切描かれておらず、ガマの光景がおだやかな筆致で描写されています。救われた人びとの心象風景でしょうか。
 そして最後の作品が「残波大獅子」。私は行ったことがないのですが、読谷村にある高さ8m75cmの巨大なシーサーの像です。その像とともに、屹立し、歌い、三線を弾き、太鼓を叩く、戦後の沖縄人の群像が描かれています。映画によると、山内徳信氏知花昌一氏などこの連作に関わった方々も描き込まれているとのことです。落下傘で降下する米兵が、下のほうに小さく小さく描かれているのも目を引かれました。明るさと力強さと、未来への希望を感じる絵です。そしてよく見ると、そこここにいくつもの頭蓋骨が描かれています。また柔らかい光の中に浮かび上がる、昔の服を着た少年は、沖縄戦で亡くなったのでしょう。死者との共闘、中島岳志氏の言葉をかみしめました。

 なお上映後に、プログラムディレクターの山崎裕氏を聞き役とした河邑厚徳監督のトークがありましたので、私の文責で要約して紹介します。

 沖縄の復帰50年にあたる2022年、コロナ禍のためか人のいない佐喜眞美術館で「沖縄戦の図」と向き合い、魂を揺さぶられた。自分がこの絵を見ているのではなく、ここに描かれている125人から見られているような気がした。また背面には、沖縄戦の証言者たちの写真パネルが掲示されているが、彼ら/彼女らからも見られている気がした。そして「あなたは沖縄について何を知っているのか」と問われている気も。それについて考えはじめたのが、この映画をつくるきっかけだった。
 丸木位里・俊氏は、この絵を描くにあたって、たいへんな数の資料を集め、多くの人から証言を聞いた。この作品はアートというより、ルポルタージュであると思う。映像では伝えきれない沖縄戦の実相を再現したものである。
 今年は、戦後80年目にあたる。考えてみれば、明治維新から敗戦までの期間もほぼ80年である。維新から敗戦までは「戦争の80年」、戦後から現在までは「平和の80年」であったと言える。問題は次の80年だ。1センチたりとも1ミリたりとも、日本が戦争へと動かぬようにしなければならない。しかし戦争への外堀はすでに埋められてしまった。戦争を防ぐために内堀を守り抜きたい。そのためにも、戦争の怖さや醜さを、頭ではなく心に伝える映画をつくりたい。そしてその映画を若者に見てもらいたい。
 最近考えているのは、日本の戦後80年だけではなく、世界の戦後80年も考えることである。アジアの戦後80年は、植民地から独立する過程であった。そこまで目を向けなければならないと思う。
 いま77歳だが、これから撮りたい映画はたくさんある。たとえばベトナム戦争とカメラマンの石川文洋氏に関する映画をつくりたい。また「信濃毎日新聞」に連載されている「憲法事件を歩く」という連載記事がたいへん興味深い。この映画化にも取り組みたい。

 以上、拙い要約でした。"台湾有事"を怒号し、沖縄がふたたび戦禍にまきこまれようともやむを得ないと考える御仁たちが跋扈する昨今、戦争で沖縄はどうなってしまったのか、その地獄が再来されてもいいのかについて知り考えさせてくれる素晴らしい映画です。ぜひ一人でも多くの方に観てほしいと思います。
『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』_c0051620_12111492.jpg

by sabasaba13 | 2025-08-24 07:02 | 映画 | Comments(0)
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