静岡編(13):掛川(19.9)

 なおこのあたりからは、掛川城の天守閣がよく見えますが、オリジナルのものではなく再建されたものです。
 静岡編(13):掛川(19.9)_c0051620_21204901.jpg

 「掛川市 観光情報」から転記します。

掛川城
 室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
 戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
 現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
 掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています。

 それでは掛川駅へ戻りましょう。途中に火の見櫓があったので撮影。
 静岡編(13):掛川(19.9)_c0051620_21223333.jpg

 駅の近くには山内一豊と千代の顔はめ看板がありました。
 静岡編(13):掛川(19.9)_c0051620_21231364.jpg

 千代の「内助の功」は有名ですが…正直に言ってよく知りませんでした。せっかくの機会なので「土佐の人物伝」というサイトに教えていただきました。

 山内一豊の妻・千代。生まれはいくつか説がありますが、近年裏づけ資料の発見などにより郡上八幡説が注目されており、有力かもしれません。 しかし、決定づける資料が十分揃っているわけでなく、はっきりとは言えません。
 非常に教養高い人で、政治・外交的にも優れていました。一豊没後もその政治・外交力を発揮していました。

 まだ、一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、近く馬揃えがありました。馬揃えとは、簡単に言えば、近く行なわれる戦の前に、馬を一堂に集めてその検分をするもの。その頃来た馬売りが連れてきた駿馬を見て、欲しいと思うが金がなかった。それをみかねた妻・千代は夫に何かあったらと父から嫁入りの時に渡された10両を一豊に渡した。そして、一豊はその10両でその馬を買った。そのみごとな馬は信長の目をひき、感心も得ました。
 秀吉の没後、権力争いの動きが見え始め、再び戦乱の世へと傾いていました。一豊は早くから家康に対して忠誠を見せていました。関ヶ原の戦の前には、大阪にいる千代は、石田三成の監視下に置かれながらも夫・一豊に豊臣側の情報を送りました。一豊は千代から自分はどうなってもいいから、家康に忠義をつくしなさいという内容の密書を受け取ります。千代はその密書を開封せずに家康に渡す事を言付けます。一豊はその千代の言葉通り、開封することなく家康に密書を渡し、自分の忠義を示したのです。 この二つの逸話は有名で、千代の内助の功によって出世できたとも言われる所以です。

 なお二人の銅像は、郡上八幡でも見かけました。また一豊の銅像は高知市にもあります。

by sabasaba13 | 2025-09-23 07:10 | 中部 | Comments(0)
<< 静岡編(14):磐田(19.9) 静岡編(12):掛川(19.9) >>