静岡編(16):磐田(19.9)

 その先には「大日本帝国水難救済会掛塚救難所跡」という標識がありました。
静岡編(16):磐田(19.9)_c0051620_21403369.jpg

 後学のために解説を転記します。

大日本帝国水難救済会 掛塚救難所
 掛塚港に出入する船や付近を航海する船の水難救助のために設置されたもので、明治三二年(1899年)九月一〇日に開所式が挙行された。
 明治二六年、元知事小松原栄太郎氏の提言により、地元廻船業者の満場一致の賛同を得て設置願を提出した。明治三一年、建設委員が任命され、開所したものである。
 初代所長に加藤猪之吉氏、救助夫長に中西善三郎氏、看守荒井信敬氏が任命された。
 以後日夜看視にあたり多くの実績を残している。
 明治三四年一月風雨強く、激浪の中、座礁した本町岩間喜一郎氏の持船喜興丸を救助している。

 そして竜洋海洋公園に到着、お目当ては掛塚灯台です。磐田では、公園内の地図を見かけなかったため、灯台に着くまで一苦労。右往左往しながら公園内をかけまわり、やっとのことで白亜の灯台に出会えました。
静岡編(16):磐田(19.9)_c0051620_21414586.jpg

 解説を転記します。

掛塚灯台
 掛塚灯台は、明治30年(1897)3月25日初点灯以来、今日も現役で活躍している。全国に4700基余りある灯台の中でも、60基ほどしかない明治時代の灯台の一つである。県内では、神子本島灯台御前崎灯台に次いで古い灯台である。
 旧幕臣であった荒井信敬は、明治13年(1880)に駒場地区へ入植した。開墾に精を出すかたわら、天竜川河口近くにおいて数多くの船が難破・座礁するのに心を痛め、私財を投じて「改心灯台」を建設した。同30年(1897)には官営の灯台が完成した。灯台はこの案内板より南西約100メートル地点で100年以上活躍した。
平成14年(2002)3月12日に、約1キロメートル西の竜洋海洋公園南側へそのままの姿で移築され、活躍の場を新たにした。

 はて? 荒井信敬ってどこかで聞いたことがあるなあ…そうだ、さっき知った大日本帝国水難救済会掛塚救難所の看守をしていた方だ。水難救済に灯台建設、彼も平野又十郎と同様、地域の福利のために尽力された偉人なのですね。その地域がいま、全国で疲弊しているのを見たら、草葉の陰で彼らは何を思うのでしょうか。想像するに「自民党や公明党を政権の座につけているからじゃよ」と呆れているのではないかな。

by sabasaba13 | 2025-10-03 07:02 | 中部 | Comments(0)
<< 静岡編(17):磐田(19.9) 静岡編(15):磐田(19.9) >>