京都錦秋編(16):常寂光寺(19.11)

 なお常寂光寺には気になるモニュメントが三つあるので、後学のため転記しておきます。まずは「女ひとり生き ここに平和を希う」という石碑です。

 1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者と結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
 今、ここに、ひとり生きた女の"あかし"を記し、戦争を二度と繰返してはならない戒めとして後世に傳えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場となることを期待します。
 この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。
碑文揮毫 参議院議員市川房枝
 1979年12月 女の碑の会
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 二つ目は、砂田明の記念碑です。

「あねさん。魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんをただで、我がいると思うしことってその日を暮らす。これより以上の栄華のどけえいけばあろうかい。」
石牟礼道子原作 砂田明脚色
現代夢幻能「天の魚」
 砂田明は1928年京都に生まれる。47年神戸高等商船学校卒業後上京、新劇俳優としての活動を始める。70年石牟礼道子「苦海浄土」に触発されて水俣巡礼行脚。72年水俣に移住。75年「祖さまの郷土水俣より」を上梓。79年袋神川に生類合祀廟「乙女塚」を建立。一人芝居「天の魚」の全国勧進行脚を始める。81年紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞。82年金城実作「海の母子像」を水俣、沖縄、長崎等に建立する運動を始める。詩劇「鎮魂歌」を上演。92年「天の魚」上演実に556回に及んだところで病を得、93年享年65才で没す。
 当山志縁廟への納骨を機縁に、故人を敬愛する多くの人々相集い金城実作のレリーフでこの記念碑をつくる。
 1997年4月吉日

 石牟礼道子が現代夢幻能をつくったことは知っていましたが、それを一人芝居で演じた砂田明という俳優の存在は知りませんでした。不勉強ですね。彼の名前は頭にしっかりとインプットしておきます。
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 三つめは『塵劫記』の記念碑です。

 塵劫記の著者吉田光由幼名与七のち七兵衛久菴と号した 京都嵯峨の角倉家の一員である 寛文十二年十一月廿一日没 寿七十五 詳略数種の塵劫記を刊行し草創期のわが国算学の発展に貢献した 以後の珠算書及び算学書はほとんどこれにならった また兄光長とともに数学と土木技術を駆使し菖蒲谷隧道を通して嵯峨の地をうるおした
 塵劫記刊行三百五十年を記念し角倉家ゆかりの常寂光寺にこの顕彰の碑を建てる
 昭和五十二年十月十日

 塵劫記に吉田光由か、懐かしいですね。大学受験のときに一所懸命暗記した覚えがあります。彼が角倉家の一員だとは知りませんでした。でも富士川や高瀬川の開削をしたのが角倉家ですから、そうした土木工事を行なうにあたって必要な数学や計算を吉田光由に学ばせたのかもしれません。歴史の奥は深い。
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by sabasaba13 | 2025-11-14 07:02 | 京都 | Comments(0)
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