『手に魂を込め、歩いてみれば』

 『東京新聞』から引用します。

ガザのため、遠い日本からできることがある イスラエル軍の空爆で「盟友」を失った映画監督が伝えたいこと

 パレスチナ自治区ガザでイスラエルの攻撃にさらされる街並みや人々を写し続けた現地のフォトジャーナリストとの交流を描いたドキュメンタリー映画「手に魂を込め、歩いてみれば」が、5日に全国公開される。来日したイラン人のセピデ・ファルシ監督は、「平和へのアクションはいくらでもある」と国際社会の支援を訴える。(宮畑譲)
 2023年10月の戦闘開始後、ファルシ監督はガザを取材しようとしたが現地に入れなかった。代わりに、ガザ内にとどまり写真を撮り続けるパレスチナ人のファトマ・ハッスーナさんと2024年4月からビデオ通話を重ねた。
 ファルシ監督は16歳のときに反体制活動で逮捕され、18歳でイランを離れた。現在はパリを拠点に活動する。ハッスーナさんを「鏡のような存在」と見守り、時に心配し、励ました。親子ほど年の離れた2人の画面越しの交流は約1年続いた。
 通話中にも爆撃があり、煙が上がる様子が映し出される。自由に外を歩けない状況下、ハッスーナさんが撮影した写真は、多くが廃虚を写しながらもどこか詩的で美しい。そして、劇中のハッスーナさんは常に笑顔を絶やさない。「太陽のような笑顔だった。愚痴や憎しみは口にせず、前を向き続ける人だった」とファルシ監督は振り返る。
 2人のやりとりをまとめた作品が今年のカンヌ国際映画祭で上映されると決まった直後の4月16日、イスラエルによる爆撃で25歳になったばかりのハッスーナさんは亡くなってしまう。
 10月の停戦発効後もイスラエルによる空爆や戦闘による死者が出ている。2023年10月の戦闘開始後、ガザ地区の死者は7万人を超えた。和平実現に向け、国際社会がするべきこととして、ファルシ監督は「イスラエルへの武器提供を止める。とてもシンプルで簡単なことだ」と強調する。
 日本政府の対応には「もっと人道的な対策を積極的に取ると期待していたが、どうやらそうではないと感じている」と残念がる。一方で、日本の国民にはパレスチナへの共感があると信じている。
 ガザ地区では飢餓も深刻と伝えられる。具体的な支援も重要だが、ファルシ監督は他に誰でもできることはあると訴える。「あなたたちのことを考えているよ、というメッセージを送るだけでも、直接的な支援にはならなくても励ましには確実になる」 (25.12.1)


<本音のコラム> 『手に魂を込め、歩いてみれば』 北丸雄二(ジャーナリスト)

 「ガザには死にいろんなオプションがある。空爆、恐怖そして飢え」─そう伝え続けた24歳のフォトジャーナリストがいました。ファトマ・ハッスーナさん。彼女と亡命イラン人セピデ・ファルシ監督との1年に及んだビデオ通話が『手に魂を込め、歩いてみれば』という記録映画になりました。
 通話は電波状態で途切れがちです。「画像が切れるたびにこれが最後かと思った」とファルシ監督は言います。けれど再開するとそれを喜ぶファトマさんがそこにいる。「奇跡だと思った」。空爆の中から、彼女はそうして家族や友人たちの死を、廃虚と瓦礫を伝えます。
 不思議に彼女はいつも太陽のような笑顔です。ああパレスチナの人も、悲惨な時ほど笑顔になる日本人と同じなのです…そしてその笑顔がふと消える時、深い影が一瞬だけ彼女の眦(まなじり)をよぎる。
 今年4月、この作品がカンヌ映画祭で上映されると知らされた翌日、ファトマさんは家族6人とともに空爆で殺されました。「死ぬなら響き渡る死を」と望んだ彼女のこの映画が、今日から全国で上映されます。「手に魂を込め」て撮った彼女のガザ写真展も東京・ユニセフハウスで11日から始まります。
 停戦のはずなのにイスラエルの散発的ガザ攻撃は続いてさらに350人以上が殺され、滞る食料や医療物資、壊滅した住宅やインフラの中で危機は去っていません。(25.12.5)

 ガザ、そしてヨルダン川西岸でくりひろげられるイスラエルの蛮行。イスラエルを積極的に支援するアメリカと傍観する国際社会。パレスチナとの連帯を唱える多くの人びと。せめてそのほんの一翼でも担いたいと思い、パレスチナに関する書籍や報道、講演会、映画にはできうる限り触れるようにしています。それをもとに、拙ブログでもいくつか記事を上梓しましたが、やはり無力な自分がもどかしい。もどかしくても仕方ない、これからもパレスチナの人びとに思いを馳せ、パレスチナで起きていることに関心を持ち続けていきたいと思います。
 この映画も公開初日、シネ・リーブル池袋で観てきました。公式サイトから引用します。

Story ストーリー
 イスラエルによるガザ攻撃が続いていた2024 年、イラン出身の映画監督セピデ・ファルシは、緊急に現地の人々の声を届ける必要性を感じていた。しかし、ガザは封鎖されており行くことは出来ない。そこで、知り合ったガザ北部に暮らす24歳のパレスチナ人フォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナとのビデオ通話を中心とした映画の制作を決意する。
 以後、イランからフランスに亡命したため祖国に戻れない監督と、監督の娘と同じ年齢で、ガザから出られないファトマとのビデオ通話が毎日のように続けられた。そして、ファトマは監督にとってガザを知る目となり、監督はファトマが外の世界とつながる 架け橋となり、絆を築いていく。
 ファトマは空爆、饑餓や不安にさらされながらも力強く生きる市民の姿や、街の僅かな輝きを写真に収め、スマホ越しにガザの様子を伝え続けた。監督が「彼女は太陽のような存在」と形容するように、彼女はいつも明るかったが、度重なる爆撃で家族や友人が殺されていくにつれ、表情を暗くしていく。そして悲劇はファトマをも襲う。2人が交流を始めて約1年後の2025 年4 月15日、本作のカンヌ映画祭上映決定の知らせを、ファトマは喜んだが、その翌日、イスラエル軍の空爆でファトマを含む家族7人が殺されてしまったのだ。
 25歳になったばかりのファトマの死は、本人が「もし死ぬのなら、響き渡る死を望む」と書いたように、世界中に波紋を広げることになる。

ファトマ・ハッスーナ Fatma Hassona
 ガザ出身のパレスチナ人フォトジャーナリスト。応用科学大学でマルチメディアを専攻し、卒業。タメル・コミュニティ教育財団でフォトグラファーとして勤務する傍ら、文学グループ「ヤラアト・アル・アダビ」の編集チームメンバーとしても活動した。その後、ウーマンズ・アフェアーズ・センター・ガザ(WAC)で写真家として活動し、プラン・インターナショナルの「She Leads」プログラムにも参加。彼女の作品はガザ各地で展示され、多くの人々の共感と関心を呼んだ。2025年4月16日未明、ガザ市東部アル・トゥッファーハ地区の自宅がイスラエル軍の空爆を受け、命を奪われた。25歳になったばかりだった。

Director's Statement 監督声明 セピデ・ファルシSepideh Farsi
 ファテムは殺害された時、ちょうど25 歳になったばかりでした。私はカイロでパレスチナ人の友人を介して彼女と知り合いました。当時、私はガザへ行く方法を探し求めていました。ガザへの道は次々と封鎖され、シンプルながら複雑な質問の答えを探していました。
 「あの包囲下で、何年も生き延びるにはどうすればいいのか?」
 「パレスチナの人々は、戦火で荒廃した祖国でどのような日常を送っているのか?」「イスラエル国家は、数百平方キロメートルの小さな地域に、数多くの爆弾とミサイルを投下し、ガザの住民を飢餓に追い込むことで、何を消そうとしているのか?」
 そして、ファテムはガザでの私の目となり、私は彼女にとって、世界への窓となりました。
 私はビデオ通話でファテムが私と共有してくれた、情熱的で生き生きとした全ての瞬間を撮影し続けました。彼女の笑い声、涙、希望、そして絶望を撮影しました。私は直感に従い撮影していました。これらの映像が私をどこへ導くのか知りませんでした。それが映画の美しさで、人生の美しさです。
 2025 年4月16日にファテムの死のニュースを聞いた時、私は信じられず、何かの間違いだと思いました。数ヶ月前、同じ姓の家族がイスラエルの攻撃で命を落とした時の間違いのように。信じられない思いで彼女に電話をかけ、メッセージを送り続けました。指一本で押されたボタンが爆弾を投下し、ガザの一軒の家を、そこに生きる輝かしい命ごと消し去りました。もはや疑いの余地はありません。
 いまガザで起きていることは、2023年10月7日にハマスが行った犯罪への報復ではなく、イスラエル国家によって長期にわたり続けられているジェノサイドなのです。

セピデ・ファルシ Sepideh Farsi
 イラン人映画監督セピデ・ファルシは、13歳で革命を経験し、16歳で反体制活動のために投獄、18歳で故郷イランを離れた。以来パリを拠点に、数学を学び、写真を撮り、ドキュメンタリー、フィクション、アニメーションを含む15本の映画を制作している。『Tehran Without Permission』(ロカルノ映画祭)、『Red Rose』(トロント国際映画祭)、そしてイラン・イラク戦争を題材にした長編アニメーション『The Siren』はベルリン国際映画祭パノラマ部門のオープニング作品となり、多くの賞を受賞した。現在はイラン・ウェスタン映画プロジェクトに取り組む一方、自身の生涯をもとにしたアニメーション作品『Memoirs of an Undutiful Girl』の制作を進めながら、イランの民主化運動にも力を注いでいる。
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 セピデ・ファルシ監督がスマートフォンでファトマ・ハッスーナを呼び出し、ディスプレイの彼女と監督がさまざまなやりとりをする。そのシーンが基調となる破格な映画です。しかもイスラエルによる妨害電波のため画質は非常に悪く、映像もたびたび途絶えます。呼び出しに対して彼女の応答がないと、爆撃されたのではないか…と不安になり、ディスプレイに顔がうつってほっとする。でもこれがガザの日常なのですね、いつ訪れるかわからない死。
 そしてファトマが撮った写真、その場から撮影した付近の状況、彼女の話から、ガザの凄まじい現状が伝わってきます。イスラエルによる殺戮と破壊、占領による食料・医薬品・必需品の絶対的不足、そして飢餓。「鶏肉とチョコレートが食べたい」というファトマの言葉が心に残ります。
 しかし救いは、輝くようなファトマの笑顔です。こんな素敵な笑顔にはなかなかお目にかかれません。故郷ガザの過酷な状況、ガザ市民の悲惨な暮らしを写真やメッセージで伝えながらも、希望を失わない笑顔には魅せられ勇気づけられます。ところがイスラエルの攻撃で知人を殺され、食料が月欠乏するにつれて、表情が痛々しく陰ることが増えてきます。
 2025年4月15日、ファルシがファトマに映画が2025年のカンヌ国際映画祭に選出されたと知らせると、彼女はそのワールドプレミアに出席したいと希望しますが、その翌朝、2025年4月16日、ハッスーナと9人の親族は自宅へのイスラエル軍の空爆により睡眠中に殺害されてしまいます。言葉を失いながら見つめるエンドロール。テロップで下記の言葉が写されて映画は静かに終わります。

 2025年5月までに、OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)は10月7日以降にガザで211人のジャーナリストが殺害されたことを確認しており、その中には28人の女性が含まれている。

 ガザに暮らし生きる人の声を伝えてくれる稀有なる映画でした。そしてその悲惨なガザの現実を写真と映像で世界に伝えようと、手に魂を込めて街を歩くファトマ・ハッスーナ。彼女の言葉です。

 今こそ、この戦争を撮って世界に見てもらわなければならない。苦しみをすべて記録するの。他に誰がやるの?

 最後に、購入したプログラムに掲載されていたセピデ・ファルシ監督へのインタビューと、ファトマ・ハッスーナのインスタグラムを紹介します。

Q.ファトマ・ハッスーナとの出会いは、あなたのガザに対する見方をどのように変えましたか?
SF:この映画は、ガザを数字や破壊の映像といったメディアのステレオタイプな表現を超えて理解したい、という私自身の思いから生まれました。私は、誰か特定の人の声や日常の生活に根ざした視点を必要としていたのです。カイロで出会ったパレスチナ難民を通じて、オンラインでファテムと出会い、すぐに深い絆が生まれました。彼女は私にとって"ガザの目"となり、写真や動画、メッセージを通して、現地で体験したままの戦争の現実を伝えてくれました。常に尊厳を保ち、被害者としてではない彼女の証言は、私の認識を大きく変えました。ガザはもはや抽象的な概念や廃墟ではなく、彼女そのものとなったのです。生き生きとし、強く、ユーモアに満ち、そして同時に脆さを抱えた存在として。

Q.なぜ、あなたはあなたたち2人の会話を中心とした映画を作ることにしたのですか?
SF:ほぼ毎日続いた私たちのビデオ通話には、他の方法では決して捉えられない生の真実が詰まっていました。停電やネット障害、爆撃の合間を縫ってやり取りを続けました。
 時には、ファテムが私に電話をかけるためだけに、通信電波を探して何キロも歩くことがありました。その努力には、自らが証人となり、ガザの現実を消え去らせまいとする強い意思が込められていました。「私はここにいる」と伝えるために。
 この映画は、答えを求める私の旅と、戦争に中断されながらも日常の断片を残したいという、私たち二人の願いから生まれたものです。ご覧いただく映像は不完全かもしれませんが、そこには確かな生命力と人間性、そして伝えるべき証言が宿っています。

Q.ファテムの死は、カンヌ映画祭での作品の選出発表直後でした。この悲劇的な出来事をどのように体験されましたか?
SF:前日、私たちは会話をしていました。選考の結果を知った彼女は大喜びし、カンヌに行く話で盛り上がりました。彼女は「行きたい」と言いましたが、その条件は「必ずガザに戻ること」でした。どんなに苦難に満ちても、ガザは彼女にとって揺るぎない故郷だったのです。
 翌日、彼女はこの世を去りました。衝撃は計り知れませんでした。しかし私は、この映画を悲しみだけで終わらせたくはありませんでした。私たちが共につくり上げたものは、生きた証です。この映画は、彼女の不在を語るのではなく、彼女という存在の光を伝えるものなのです。

Q.この映画は、彼女という存在を通してガザを描き出しています。制作に取りかかる段階から、政治的な意図を意識されていたのでしょうか?
SF:ガザを撮影する以上、どのような形であれ政治性を帯びないことは不可能だと思います。実際、映画とは常に何らかの形で政治的なものだと私は考えています。しかし、私の最初の意図は明確な主張を掲げることではありませんでした。私が望んだのは、10月7日以降の戦争報道ではあまり伝えられていない声を届けることでした。
 ファテムは、自分の街や家族、日常を、明快で優雅な言葉で語ってくれました。その言葉は、どんな演説よりも力強く響きました。彼女は人生について語り、ドローンについて冗談を言い、破壊された故郷への愛を語りました。私は彼女の視点に寄り添い、その視点を観客と共有する空間を作りたかったのです。この映画は、しばしば見過ごされてしまう私たちの人間性に、人々が耳を傾け、感じ、気づいてもらうために制作しました。

Q.観客にこの映画で何を持ち帰ってほしいですか?
SF:私は観客が、たとえ一つでも声や視線、微笑み、美しい魂を心に刻んでくれることを願っています。戦争の映像の向こうに、人間性を探し出してほしいのです。私はメッセージを押しつけようとしているのではありません。この映画は説明を与えるものではなく、視点を示すものです。
 映し出されるのは、私たちがほとんど目にしてこなかった土地、そして忍耐強く生きる人々の姿です。観客が映画を観た後に、心が動き、視点が変わったと感じてくれるなら-それはファテムの声が届いた証です。そして、それこそがこの映画が成し得る最も大切な成果だと思います。(p.12~5)



2024年8月3日 本人のインスタグラムより
もし私が死ぬなら、響き渡る死を望む。

 300日間、私と一緒にいるのは「アニア」。私のレンズであり、物事を捉える方法、私が望むような写真を引き出す方法を知っている唯一の良き友人だ。300日間、私と兄弟たちはこの殺戮の中で死にかけている。血が地面に流れ落ち、兄弟たちの血が私にかかり、私を汚す瞬間が怖いくらいだ。300日間、私たちは赤と黒だけを見て、死の匂いを嗅ぎ、苦いものを食べ、死体にしか触れられない。

 今回初めて、私は大きな損失を被った。11人の家族を失った。神に誓って、私にとって最も大切な人たちだ。しかし、私を止めるものは何もない。私は毎日、行き先も決めずに街へ出かける。ただ、私が目にするものを世界にも見てもらいたいから。私は、この人生の瞬間を記録する。私の子どもたちが聞くかもしれないし、聞かないかもしれないけど、この歴史を世界に遺したい。

 私たちはここで毎日、さまざまな形で、さまざまな色で死んでいる。苦しむ子どもを見るたびに、私は千回死ぬ。粉々になり、灰になる。私たちがこうなったことが、この無意味さが、毎日私たちを食い尽くすこの怪物たちが、私の心を痛める。

 毎日、家を出ると、母が私を見送っているのを見かけるが、私は振り返らない。あの目を見たくないから。母にこの悲しみを味合わせたくなかった。しかし、この国には死以外の何があるというのか?

 死は避けられないけど、もし私が死ぬなら、響き渡る死を望む。速報や数字の羅列にはなりたくない。世界中に知られるし、永遠に続く影響、時間や場所に埋もれることのない不滅の姿を望んでいる。(p.24~5)

 追記です。翌日の上映ではセピデ・ファルシ監督によるアフタートークがあるということで、山ノ神が映画を観て話を聞いてきました。彼女曰く、ファトマへの尽きぬ思いを切々と語られたそうです。その中で、イギリスの解析によって、イスラエルのミサイルがピンポイントで彼女一家を狙い撃ちしたことがわかったそうです。ジャーナリスト抹殺の一環なのでしょう。
 『ガザ日記 ジェノサイドの記録』(中野真紀子訳 地平社)の中で、アーティフ・アブー・サイフはこう綴っています。

2023年10月30日(月曜日)
 もしも「PRESS」と書かれた防弾ジャケットやヘルメットを身につけていれば、標的をまとって歩いているようなものだ。そういうジャケットを身につけていると、身につけていないよりも狙われやすくなる。彼らの戦略は単純だ-ニュースや報道がガザの外に出ることは許さない。残念なことに、経験を積んだジャーナリストたちは、大半がしばらく前に南へと向かった。そちらの方が安全だと考えたからだ。馬鹿正直に。(p.147)

 また彼は、ファトマとおなじことを述べていました。

2023年12月13日(水曜日)
 残されたものは記憶であり、私たちが生き続けるための闘いの一部は、起こったことを忘れないという責任を果たすことだ。(p.363)
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by sabasaba13 | 2025-12-08 06:57 | 映画 | Comments(0)
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