総理大臣にふさわしい資質

ロベスピエールをたたえる人も、にくむ人も、後生だからお願いだ。ロベスピエールとはなにものであったのか、それだけを言ってくれたまえ。(マルク・ブロック)


 さて、高市早苗氏の人気に便乗して自由民主党が衆議院議員選挙で圧倒的な勝利をおさめました。でも人気と総理大臣としての資質はまったくの別物です。彼女は総理大臣にふさわしい人物なのでしょうか、そうではないのでしょうか。その判断に際して参考になるのは、やはり彼女の言動です。私が調べた範囲で、過去に以下のような言動がありました。

『外国人差別の現場』 (安田浩一/安田菜津紀 朝日新書867)
【安田浩一】 例えば自民党政調会長の高市早苗議員。2014年にはネオナチ団体の代表とツーショット写真を撮ったことが話題になりましたけども、同席した団体は、国家社会主義日本労働者党を名乗っています。ハーケンクロイツをシンボルとする日本版ナチスです。これだけでも問題ですが、高市氏はさらに問題を抱えている。1994年にナチス礼賛本『ヒトラー選挙戦略』に推薦文まで寄せています。これこそ本当の意味での「ご法度」ではないでしょうか。ちなみに同書の著者は、かつて自民党東京都支部連合会(自民党都連)の広報部長を務めた小粥(おがい)義雄氏。(p.273~4)

『東京新聞』(25.10.23)
こちら特報部 高市首相はホントに「ガラスの天井」を破った? 「女性の問題に取り組んでくれる」の期待に逆行する不安は
かつて高市氏は、生活保護受給者について「さもしい顔をしてもらえるものはもらおう。弱者のフリをして少しでも得しよう。そんな国民ばかりでは日本国は滅びる」と発言した。

「自由民主党高市政調会長の暴言に抗議し 被災者の前で発言の撤回と謝罪を求める決議
 すでに明らかにされている通り、高市政調会長が過日の講演で「悲惨な爆発事故を起こした東京電力福島第一原発事故を含め、事故によって死亡者が出ている状況でもない。そうすると安全性を確保しながら活用するしかない」と発言したことに対し、被災者と県民から強い怒りと抗議の声が上がり、発言の撤回と謝罪をしたが当然である。
 過日の発言には重大な問題が二つある。一つは、原発事故関連死が相次いでいる現実を知らな過ぎることである。6月18日現在避難生活で亡くなった災害関連死は、福島県内で1415人、すでに浪江町では273人が関連死と認定され、先が見えず自殺に追いこまれた町民もいる。また爆発直後は最悪の放射性物質の放出と爆発の危険から、津波被害者の救助活動が出来ず、助かった命も救えなかったという悲しい現実があったということである。
 二つは、「原発事故で死者はいない」という誤った認識に立ち、「そうすると、(原発を)活用するしかない」と原発の再稼働に結び付けた発言をしていることである。爆発した東京電力福島第一原発の現実はいまだ事故収束の見通しがないばかりか、生業も地域のコミュニティも壊され、家族がバラバラに暮らすなど、全町避難を余儀なくされている我々町民は、言葉に言い表せない苦痛と被害を受け続けており、原発の再稼働など被災者と県民の心を逆なでするものであり、決して容認できるものではない。
 自由民主党高市政調会長に対する町民の怒りの核心は、政権党の政調会長という立場にありながら『福島を見ていない暴言であり、撤回で済む問題でない』ということである。よって政権与党の政調会長というその職責の重さを認識され、改めて県民と被災者の前で明確な発言の撤回と謝罪を求めるものである。

朝日新聞』(23.4.1)
 前半国会で政府・与党が頭を悩ませたのは、放送法の行政文書の対応だった。高市早苗経済安全保障担当相が参院予算委員会で「信用できないならもう質問しないで」と答弁。高市氏は撤回になかなか応じず、予算委員長による注意という異例の展開をたどった。高市氏の振る舞いに、身内の自民党内で失望が広がる。
 高市氏の発言は3月15日にあった。憲法が保障する国会議員の質問権を侵害する問題発言として、「憲政史上例がない」(立憲民主党・安住淳国会対策委員長)と野党は強く反発。参院自民幹部も「経験を積んだ政治家として、あるまじき発言。失言だ」と直後から対応に乗り出した。
 政府にも協力を求め、磯崎仁彦官房副長官や末松信介参院予算委員長(自民)らが、水面下で高市氏に答弁撤回と謝罪を求めた。しかし、高市氏は応じなかったという。

東京新聞』(25.9.19)
 自民党の高市早苗・前経済安全保障担当相(64)が19日、党総裁選(22日告示、10月4日投開票)への立候補を表明した。総裁選に挑戦するのは、2021年、2024年に続いて3回目。党内きっての保守派の論客と目されている高市氏だが、過去には波紋を呼んだ言動も少なくない。
 記憶に新しいのが、総務相時代の2016年に国会で飛び出したテレビ局の「電波停止」に触れた発言だ。2016年2月の衆院予算委員会で野党議員が、安倍政権に批判的とされるテレビ局のキャスターの降板が相次いでいると指摘し、「電波停止が起こりえるのではないか」と質問した。これに対し、高市氏は「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない」と述べ、電波法に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。
 翌日の国会質疑でも、高市氏は「極めて限定的な状況のみで行う」と答弁し、電波停止命令の可能性を否定しなかった。野党は報道の萎縮につながると問題視したが、安倍晋三首相(当時)は「放送法について一般論として答えた」と高市氏を擁護した。
 自民党は前年、番組内でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが政府を批判したテレビ朝日の幹部を、党本部の会合に呼び出して事情聴取していた。こうした経緯もあり、高市氏のタカ派的な発言は政治とメディアの関係に注目が集まるきっかけとなった。
 2023年には、放送法の解釈を巡る行政文書について高市氏が「ねつ造だ」と断定し、波紋を呼んだこともある。立憲民主党の小西洋之参院議員が国会で、高市氏が総務相だった時期に総務省内で作成されたという行政文書を示し、放送法の「政治的公平」を巡る解釈の変更があったと追及。高市氏(当時は経済安全保障担当相)はこの文書について「悪意を持ってねつ造されたもの」「怪文書の類い」などと説明して、信憑性を否定した。
 高市氏が、ねつ造でなかった場合は議員辞職する考えも明言したため、大きな騒動になった。
 高市氏のタカ派的な言動は、歴史認識にも表れている。閣僚時代も含め、終戦の日には繰り返し靖国神社を参拝している。今年の8月15日、参拝を済ませた高市氏は、記者団に「たくさんの方が国策に殉じられた。尊崇の念を持って哀悼の誠をささげた」と話した。(木谷孝洋)

時事通信政治部』(25.11.12)
 立憲民主党は12日の参院予算委員会で、教育勅語や慰安婦問題など、高市早苗首相が過去に物議を醸したタカ派的発言を追及した。首相は歴代政権の答弁ラインから踏み出さず、「安全運転」に徹した。
 「日本国憲法、教育基本法の制定をもって法制上の効力が喪失している。政府として教育現場で教育勅語の活用を促す考えはない」。首相は教育勅語を「称賛」していたと立民の杉尾秀哉氏から指摘されると、従来の政府見解で押し通した。
 戦前・戦中の教育規範とされた教育勅語は親孝行などの徳目を説く一方、国家危急の大事の際は身をささげて国に尽くすよう要求。保守派の一部は今も内容を評価している。
 首相は自らのウェブサイトに掲載する2012年9月3日付のコラムで「現代においても尊重するべき正しい価値観」「見事な教育勅語」と記した。今も閲覧できることについて、首相は「過去のコラムも、撤回したものも含めて全てを掲載している」と説明した。
 衆参両院は1948年、教育勅語の失効・排除を確認する決議を採択。今年7月には阿部俊子文部科学相(当時)が記者会見で「学校教育で用いることは許されない」と表明した。首相の答弁はこうした立場に沿ったものだ。
 杉尾氏は歴史認識でも首相をただした。慰安婦問題に関し、1993年に河野洋平官房長官が発表した談話は「おわびと反省」を明記。これに対し首相は第2次安倍政権で自民党政調会長だった2014年、河野談話に代わる新たな官房長官談話の発表を政府に求めていた。
 杉尾氏が河野談話を引き継ぐか確認を求めたのに対し、首相は「継承する」と応じた。首相は戦後50年に発表された村山富市首相談話もかつて批判していたが、首相就任後は「歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」と強調。杉尾氏は「首相になって変わった。君子豹変す、を期待したい」と皮肉った。
 首相は先の衆院予算委で、台湾有事は日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」になり得ると答弁するなど、波紋を広げる場面があった。参院で独自色を抑えていることについて、自民関係者は「譲れるところは譲らないと政権は維持できない」と説明した。
 立民幹部は「首相は隠しているが、危ない考え方を持っている。政府見解との矛盾を突いていく」と指摘。首相の「右派」的な言動を今後もあぶり出す方針だ。

 私の考えでは、個人よりも国家を重視する強烈な国家主義者。そして国家の政策(国策)に過ちはあり得ないし、それに抗い批判する者は許さないという意思をお持ちのようです。
 個人主義者の私とは相容れない思想です。中でも見過ごせない態度が、下記の一文からわかります。

『「最後の自民党総裁」 石破政権とは何だったか』 (高橋純子 『世界』 25.11)
 高市は新進党時代の1995年3月16日、衆院外務委員会で、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」に反対する立場からこう言い切った。「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」。これに対し、自民党総裁にして村山富市内閣の副首相・外相だった河野洋平は「過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には私の見解を異にする」と反駁した。(p.23)

 これは危ない思想です。当事者ではないので、過去の日本が行った戦争について反省も謝罪もしない。ここには、自己批判の欠落という恐るべき深淵がのぞいています。『戦後史』(中村政則 岩波新書955)から引用します。

 同様のことは加藤周一が、最近の「自国への誇りとは何か」で、明瞭に語っている。
 「ほんとうの意味での鋭い歴史意識、誇りにすべき歴史意識というのは、自己批判以外にありません。自己批判が冷静で、客観的で、勇気に満ちているということは、その個人、その社会の精神的、知的能力の高さの証拠です。それ以外にないといっていいほどの証拠です。だから自己批判の力こそが、誇りの根拠なのです」(小森陽一・坂本義和・安丸良夫編『歴史教科書 何が問題か』)。(p.235~6)

 過去に日本が犯した過ちについて自己批判をしないということは、また同じ過ちを、あるいはもっと酷い過ちをしでかす可能性があるということです。
 鶴亀鶴亀。総理大臣にふさわしくない人物だと私は判断します。

by sabasaba13 | 2026-02-11 07:05 | 鶏肋 | Comments(0)
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