白龍園の歴史 安養寺山ともつつじ山ともいわれるこの山は、昔から霊域とされ、不老長寿の白髪白髭の翁と白蛇を御祭神として尊崇されていましたが、いつしか熊笹と竹やぶに覆われた荒れ果てた地となっていました。 一九六二年(昭和三十七)に縁あってこの地一帯を手に入れた、故青野正一氏(青野株式会社の創業者)は、その地に伝わる歴史伝説と信仰を知り、けっして誉や利益のためではなく、ひたすら、この地に宿る史実と無数の魂を思い、祭壇の復元、整地と開発を決心したのでした。そして、その生涯をかけ山を蘇らせ、現在の白龍園の原型を完成させました。 完成までの長い作業は、専門家に頼ることなく社員家族と地元の手伝い衆が力を合わせ行われました。 その想いは引き継がれ、今なお白龍園は進化を遂げています。 一九六三年(昭和三十八)に開山されたこの夢のような四季の楽園は、山の御祭神「白髭大神(不老長寿)」と「八大龍王(商売繁盛)」を祭る祠と大鳥居がたてられ、霊域を守る神社を形成したことから、二文字をとって白龍園と名付けられました。 二段滝の頂上から、寺谷川をまたいで安養寺山麓へ、朱塗りの反り橋が架けられています。 この太鼓橋も社員と一族でこつこつと作り上げたもの。年月により太鼓橋からの石段も、苔むしています。 山奥の僧正ヶ谷を水源よする浄水が川を潤しており、紅葉の季節はまさに秘境の美しさを放っています。 山の整地から石の段組み、東屋や橋の建設は、初代青野正一氏自らと社員家族と地元の手伝い衆の施行によるものです。重機の入ることの出来ない道なき道を切り開き、石を担いで運び上げ、ひとつひとつ人の手により造り上げられました。 その独特の風情は圧巻です。 園内にはそれぞれに異なる見晴らしが楽しめる場所に五つのあずま屋があります。ひとつひとつ木材の選択から基礎工事、屋根ふきにいたるまで創意工夫し、頑強かつ風情たっぷりに建築された味わいある憩いの場です。 白龍神社に通じる参道の入口にある茶室風の「龍吟亭」。もっとも眺めの良い場所で、石垣の上にやぐら式に土台が組まれ三分の一あまり宙に浮いた設計。長年の風雪にも堪え、深い雪景色に浮かび上る様は風流極まります。
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