「意味がなければスイングはない」

 「意味がなければスイングはない」(村上春樹 文藝春秋)読了。兄貴の本棚からたまたま「風の歌を聴け」を見つけ何気なく読んで以来、彼の作品のファンです。だからけっこう付き合いは長いですね(もちろんこちらからの一方的なものですが)、もう二十数年になりますか。洒脱なレトリックと魅力的な物語世界に惹かれて、最新刊が出るたびに欠かさず読んできました。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が一番好きなのですが、絶版とは信じられない。
 そして音楽の奥深さ、音楽を聴く時の敬意と作法についても、多くのことを教えてくれた方です。これについてはいくら感謝してもしきれません。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるハイドンの弦楽四重奏曲の演奏、カウント・ベイシー・イン・ロンドン」の“Shiny Stockings”、エラ・フィッツジェラルドの“These Foolish Things”。そして何と言ってもビリー・ホリディの“When You're Smilling”! 彼女の歌声もさることながら、ちょっとはにかみながらも音楽の喜びをわずか24小節で歌い尽くすレスター・ヤングの優しくジェントルな即興演奏。彼の本からこうした音楽の素晴らしさを教えてもらえなかったら、確実に私の人生における喜びは何%か減じていたでしょう。
 和田誠(絵)との共著で「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮社)という音楽エッセイに続く第二弾ですね。ジャズに関するエッセイを集めた前著もお勧めですが、今回はさらに取り上げる音楽の幅を拡げています。シダー・ウォルトンとスタン・ゲッツとウィントン・マルサリス(ジャズ)、シューベルトとゼルキンとルービンシュタインとプーランク(クラシック)、ブライアン・ウィルソンとブルース・スプリングスティーン(ロック)、ウディー・ガスリー(カントリー)、そしてスガシカオ(Jポップ)。シダー・ウォルトンという地味な地味なピアニストについて、21ページの随筆を書くなんて信じられません。著者の音楽・音楽家に対する敬意と愛情、真摯に音楽を聴こうという態度、そして該博な知識の為せる技でしょう。そしてその演奏を生き生きと見事に言語化する力量、一読簡単そうに見えますが、白鳥の水面下の足のように大変な努力をされているのでしょう。あるいはチャーリー・パーカーの即興演奏のように、自然と湧き出てくるのかな。中でも印象的なのが、ウディー・ガスリーに関する一文です。以下引用します。
 …ブッシュ政権が「ネオコン」と呼ばれる保守主義的政策を強権的に推進し、貧富の差がますます拡大し、アメリカという社会のあり方―それはただ単にアメリカだけの問題には留まらないはずだ―の根幹が問い直されている現在、ウディー・ガスリーという音楽家の価値を洗い直すこの作業は、とりわけ大きな意味を持つことになるだろう。
 社会的な状況と音楽の関わりについても、きちんと目を向けられています。ぜひガスリーの音楽を聴いて、虐げられた人々のための社会的公正(social justice)を獲得しようとする意志と、それを支えるナイーブなまでの理想主義を体験したくなりました。幸い、「怒りの葡萄」(スタインベック)を題材としたアルバム「リジェンダリー・パフォーマー」を入手できそうなので、楽しみにしています。
 第三弾では、ぜひポール・チェンバース(b)を取り上げてほしいな。
by sabasaba13 | 2006-03-01 06:04 | | Comments(0)
<< 「世界文明一万年の歴史」 「マルチチュード」 >>