「「挫折」の昭和史」

 「「挫折」の昭和史(上・下)」(山口昌男 岩波現代文庫)読了。著者は文化人類学の泰斗、二十代の頃にむさぼるように読んだ記憶があります。視野狭窄だった小生にとって、「知」の垣根をとっぱらい喜ばしき学問の世界を教えてくれたかけがえのない恩人です。その読書量と、さまざまな「知」の境界を軽々と越境する軽快なフットワークには、畏敬の念を覚えます。
 本書は、近代日本の「知」のネットワークと水脈をたどろうとする労作。著者の言う「挫折」とは、権力の上に立つことに失敗するといった世俗的な事象ではなく、より良質の知的・芸術的可能性の開花が妨げられるという事態を意味します。これまで断片的にしか知らなかった人たちが、Webのようにつながり結びつき、そして触発しあっていたのだと知り、ワクワクするような知的好奇心をかきたてられました。知性とは、個の中で生れるのではなく、社会性やネットワークの中で育まれるのかもしれません。
 例えば、永田鉄山が、竹馬の友である岩波茂雄の紹介で寺田寅彦を星ケ岡茶寮(北大路魯山人が主宰)に招いて懇談し、軍事における科学研究の重要性について関心をもつくだりなど、エッと思いました。もし永田が斬殺されずに軍主流派であり続けたらおそらく軍備の近代化を進め、寺田は研究費獲得のためにその動きに協力した可能性もありますね。ボーアに学んだ仁科芳雄も1928年に帰国して寺田とともに理化学研究所に勤務していますから、永田―寺田のつながりにからんで一気に核兵器開発が進められたかもしれません。その場合、「天災と国防」で述べたような軍備よりも天災対策を充実すべしという彼の考えとどう整合させるのか、などと空想がひろがっていきます。
 後半では、そうした知的・芸術的可能性を拡げる実験の場でもあった「満州国」と、そのコーディネーター石原莞爾に焦点をあてています。彼の功罪についてはともかく、その人的ネットワークの広がりには驚くばかりです。特に日本ではじめてスポーツに関する科学的トレーニングをアメリカで学ぶが、日本では受け入れられず、「満州国」でその才能を開花させた岡部平太には心惹かれます。
 また読者側のもつネットワークともしばしば交錯しリンクするのも、楽しいところ。例えば、高校生の中川雅子氏が「見知らぬわが町」で追い求めた大之浦炭鉱の社宅で、北九州の労働運動のオルグとして活躍し、後に石原莞爾のブレインとなった浅原健三が1897年に生れています。また国家による経済統制というマスタープランを「満州国」で実践し戦後の高度経済成長を準備した宮崎正義も登場します。彼も「満州国」という実験場で、新しい政治・経済の可能性を追い求めた一人ですね。石原莞爾の戦争画コレクションを騙し取った(?)美術評論家の外山卯三郎の夫人が、野口米次郎の娘、つまりイサム・ノグチの異父妹であるというのも面白い。

 なお氏はどこに行くのにもラケットを持参するというテニス・フリークでもあります。上巻で「小泉信三とテニス」という一章がありますので、日本の近代テニスに興味がある方は見逃せません。でもどんなプレイ・スタイルなのでしょうか。本書では触れられておりませんが、たぶんドロップ・ショットやアングル・ボレー、ロブ・ボレーを好むトリッキーなテニスではないかな。だとしたら私と同じ。氏と組んで、村上龍・栗本慎一郎ペアと対戦したい、などという空想もしてしまいます。かつて村上龍氏は「ストレートのバックハンド・パスでノータッチ・エースを取った時の快感は、マリファナよりも気持ちよい」と言っておられましたが、そのパッシング・ショットをボレーでセンターに切り返してみせようぞ。
by sabasaba13 | 2006-04-07 06:09 | | Comments(4)
Commented by まつを at 2006-04-07 20:17 x
はじめまして。長崎に住んでます まつを と申します。
貴サイトに掲載されています夕顔棚夕涼図屏風が拙サイトのBBSで話題に採り上げられましたので、おじゃましました。なるほど、貴方の多彩さが伝わって参ります。
Commented by sabasaba13 at 2006-04-07 21:06
 こんばんは。貴サイトを拝見しましたが、よしをかさんがご指摘の通り「昼顔」ではなく「夕顔」です。汗顔の至り、さっそく訂正しました。
 ピンク・フロイドの「おせっかい」は私もよく聴いたアルバムです。「吹けよ風、呼べよ嵐」がブッチャーのテーマ曲に使われた時は、卓袱台を蹴倒したくなりました。実はバルトークも大好きなのですが、精神の集中を強いられるので体調が良い時に聴くようにしています。「弦チェレ」はムラヴィンスキーが愛聴盤、妖気が青白い焔のように揺らめく凄絶な演奏ですね。
Commented by まつを at 2006-04-07 22:18 x
早速のおこし、痛み入ります。
話題から察しますに、私とあまり変わらぬ年齢かと。
よろしければ、これからも飄々とおつき合いを願えれば幸いです。
Commented by sabasaba13 at 2006-04-08 18:30
 こんばんは。おそらく御察しの通りだと思います。ジョン・コルトレーンが逝去した年に、七歳でした。水の如き交わり、こちらこそよろしくお願いします。
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