小幡・白井・桐生編(1):小幡(06.2)

 しばらく散歩や旅をしないと、心身の調子が悪くなりますね。そろそろ小旅行をしようかなと思案し、前から気になっていた益子・真岡・結城近辺の情報を調べていたら、近くに良い棚田があるとのこと。それでは田植えが終わった頃に行ったほうがいいであろうと判断して、この案は却下。たまたま本屋で「関東小さな町小さな旅」(山と渓谷社)という本を立ち読みして、これはいいと即購入しました。情報量もさることながら、さすが山渓、正確な地図に感心しました。これでしばらくは楽しめそうです。今回当たりをつけたのは、群馬県にある小幡と白井です。前者は城下町、後者は宿場町で、往時の面影を残ししかも知名度が(たぶん)低く落ち着いた散策ができそうです。そして二年前の旅行で多くの物件を見残し、慙愧の念に苛まれていた桐生を組み合わせて、高崎に一泊するというマスター・プランができあがりました。持参した本は「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一 平凡社ライブラリーOffシリーズ453)。著者は懐の深くて大きい民俗学者かつ旅の達人で、畏敬する方です。私はあまり登山や山歩きに興味を示さないのですが、彼の「人手の加わらない自然は、それがどれほど雄大であってもさびしいものである。しかし人手の加わった自然には、どこかあたたかさがありなつかしさがある。わたしは自然に加えた人間の愛情の中から、庶民の歴史をかぎわけたいと思っている。」という一文に出遭った時には、わが意を得たりと思いましたね。一時はその著書を読み耽ったのですが最近ご無沙汰しており、本屋でこの本を見かけて旧師に再会したような懐かしさにかられ購入しました。イザベラ・バード、宮本常一という偉大な旅行家の旅に比べれば、赤面・汗顔・臍茶・噴飯もののしょぼい徘徊ですが、ご寛恕ください。

 明日は大荒れの予報ですが、本日は快晴です。池袋から大宮に行き、たにがわ87号で高崎に到着し上信電鉄に乗り換え、めざすは上州福島です。長閑な農村地帯を走ること約30分で到着しましたが、何と上信電鉄には駅で自転車を無料で貸してくれるというsplendidなサービスがありました。これは嬉しい。さっそくいそいそと借り受け、地図をもらいました。次の駅が東富岡なので、製糸場にも自転車で行けそうです。何はなくとも江戸紫(古いなあ)、駅の時刻表をデジタル・カメラにおさめ、いざ出発。
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 ゆるやかな昇りの道にそって20分ほどペダルをこぐと、中山道の脇往還である下仁田街道ぞいにある城下町、小幡に到着します。信長の次男、織田信雄が徳川家康から二万石の領地を与えられて開いた城下町です。その後、明和事件に関係して出羽に転封されてしまいますが。明和事件(1766~67)。江戸幕府を批判した兵学者・山県大弐が死罪に処せられた事件ですが、小幡藩家老がその門人だったのですね。これに藩の内紛が絡み、その責任を問われたようです。さて、小幡に着くと、まず城下の南北を流れるきれいな堀、雄川堰に目がとまります。洗い場なども復元されており、人々の暮らしに欠かせない水路だったことが実感できます。
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 附近には養蚕用の天窓がある昔ながらの和風建築や鏝絵のある土蔵も建ち並び、風情があります。何といっても、土産屋や観光用のわざとらしい物件等ないのがいいですね。観光客も見かけず、落ち着いた散策ができました。特に魅かれたのがある古い商店。「腹調丸」という薬の古風な看板や、タイル・ガラス張りで福助が鎮座する煙草売り場など見所がいっぱいです。タイルに「こばた」と書いてあったのには感無量、間違いなく戦前の物件です。横書きの場合に左から書く現行の表記法は、昭和前期に文部省の命によって始まったと聞きました。日本語をアジア占領地域に強制する際に、英語と同じ表記法の方が教えるのに便利であろうという考えです。なお以前臼杵で見かけた、二階部分が道路上にせり出した建物も発見。
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 本日の一枚は、雄川堰です。
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by sabasaba13 | 2006-04-18 06:09 | 関東 | Comments(0)
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