松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)

 萩市内に戻る途中で萩焼を売る店に立ち寄りました。茶人が好む茶器を一萩ニ楽三唐津といいますが、私は一備前ニ唐津三萩ですね。備前焼の無骨な土臭さに魅かれますが萩焼の上品な柔らかさも好きなので、湯飲みを購入。松本川ぞいに咲き誇る菜の花を愛で、閑静で落ち着いた街並みを縫うように流れる藍場川ぞいに、コイにエサをやりながらのんびりとサイクリング。
松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)_c0051620_20434328.jpg

 そして元藩校の明倫館であった明倫小学校に無断侵入して、風格のある巨大な木造校舎を見物しました。高杉晋作旧宅跡、木戸孝允旧宅があり、なまこ壁の土蔵、門、土塀など情緒あふれる萩城下町をひやかして、萩高校へ。ここには1887(明治20)年につくられた洋風建築の教員室があります。
松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)_c0051620_20435991.jpg

 夏みかんがわさわさと実る街並みを走り抜け、指月山と旧萩城跡へ。横光利一が「蓬生ふ 銃眼の中海光る」と詠んだ二の丸の銃眼土塀を見物して、旧萩城内を散策。
松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)_c0051620_20442210.jpg

 さあそろそろ夕暮れです。夕陽を眺める絶好のビュー・ポイントという情報を得た鶴江台へいざ行かむ。すると突然山ノ神にひだる神(※)がとりついたようです。[※人にとりついて空腹にさせ餓死させてしまう妖怪。これを防ぐには弁当の残りを一口食べるか、米の字を手に書いて3回なめると元気になる] あわててモスバーガーに駆け込み食料を補給。ふうっ。漁師町の狭い路地を疾風の如く駆け抜け、かろうじて落日に間に合いました。残念ながら高台の中腹なので木々にさえぎられ全貌は見られませんでしたが、夕陽フリークとしては満足。なおここには「浦上キリシタン殉教の碑」がありました。明治新政府の弾圧により、長崎浦上村のキリシタンが全国に流罪とされ拷問・飢餓のため多くの人々が亡くなりました。いわゆる「浦上くずれ」ですね。ここ萩にも数百名が流されてきたそうです。合掌。
松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)_c0051620_20444646.jpg

 夕食は鯛の兜煮。山ノ神は煮魚を食べる名人で、思わず見惚けてしまいます。ぺんぺん草も尻の毛も残らないほど完璧に解体された骨の残骸を見ると、「猫泣かせの○コちゃん」と呼ばれたことも納得。そして供物として鯛の目玉をお供えしました。彼女は魚の目玉のコリコリとした食感を好み、幼少の砌は家族から提供された眼球が皿に並んだそうな。◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ シュールな光景ですね、R・ブニュエルの映画の一場面のようだ。食後は「萩本陣」名物の露天風呂へ。モノレールで登った所にある、萩が一望できる眺望のよいお風呂です。残念ながら混んでいたのでバスで連れて行ってもらったのですが、絶景絶景。皮膚の表面温度が40度になるほど長湯をしてしまった。

 本日の二枚は、萩城下町と鶴江台の夕陽です。
松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)_c0051620_2045353.jpg

by sabasaba13 | 2006-05-12 06:10 | 山陰 | Comments(4)
Commented by いちご at 2006-05-12 06:16 x
初めまして!!!!!!!!!!!
お兄ちゃんのパソコンをもらってやりはじめました。
19歳の「ミク」です。
天然とか言われます。
プロダクションに入ってますがまだまだ下っ端ですww
みなさんどんどん仲良くなりましょう☆
Commented by sabasaba13 at 2006-05-12 19:19
 こんばんは。どう仲良くすればいいのか、よくわかりませんが、ま、とりあえず(便利な言葉ですね)よろしくお願いします。
Commented by K国 at 2006-05-16 07:56 x
萩の城下町は好きですので何度か行ってます
昔のママ残ってるのが素晴らしい、散策してると幕末の志士達が出てくる
気がします、松下村塾ほんの少しの人数を教えただけですが半数が
幕末、明治になって活躍してる
今の政府の閣僚より優れた人物がキラ星の如くいた萩の町
日本全体で見ても、勝海舟、坂本竜馬、大久保利通、西郷隆盛と身分の
低い連中が日本を救った、これは世界的にも類がないのでは
人口が三倍になった現在の方が人材難かも
Commented by sabasaba13 at 2006-05-16 19:20
 こんばんは。萩については、宮本常一氏も「空からの民俗学」で絶賛しておられますね。海と山と史跡に溢れた、人間的なサイズの素敵な街です。萩出身の人物をはじめ、下級武士たち(後の維新官僚)が日本を救ったかどうかは議論が分かれるところですが、きわめて有能であったことは同感です。思いつきですが、江戸時代の下級武士は利権と縁がなかったことにより、純粋に「経世済民」について考える素地があったのだと思います。支配階級がこれほど貧しかった国も珍しいでしょう。現今の政治家諸氏から根こそぎ利権を奪い、日干しにしなければと思います。みんなで選挙に行ってまともな候補者に入れれば、事態は多少前進するのでは。
<< 松江・萩・津和野編(8):津和... 松江・萩・津和野編(6):萩(... >>