「嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯」(中丸美繒 新潮文庫)読了。斎藤秀雄。チェリスト、指揮者、小沢征爾らを育てた師匠、彼の弟子たちがつくったサイトウ・キネン・オーケストラ、といった断片的な事しか知らず、気にはしていた人物でした。たまたまこの本の存在を知って購入、一瀉千里で読み通してしまいました。著者の冷静な筆致がいいですね、彼の凄さだけでなく、様々な欠点までをも、関係者の証言を交えながらつかず離れず克明に叙述しています。
彼は英語学者斎藤秀三郎の子息だったのですね、はじめて知りました。まずチェリストをめざしますが指が固く断念し、そして指揮者をめざすもあがり性のためこれも挫折、そして音楽教育者として後進を育てることに己の天職を見出します。作曲家の別宮貞雄氏はこう証言されています。
西洋近代音楽の精髄を、科学的研究によって分析して演奏解釈として生徒に教えたんですよ。斎藤先生はけっして音楽の神秘を無視した人ではないが、九十パーセントは自然科学のように音楽をやっていたんです。
英語の根本的な仕組みをどうやって日本人に教えるかという父親の仕事の影響なのかもしれません。そして若い教え子たちに、全身全霊をこめて一切の妥協をせずに、西洋音楽のエッセンスを叩き込んでいくその姿は凄絶です。小沢征爾が、裸足で自宅に逃げ帰り、本棚のガラス戸を拳で叩き割ったそうですね。痛快愉快なエピソードも満載だし、近代日本の西洋音楽受容の歴史としても面白く読めました。
「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ」と団員を厳しく指導する、「セロ弾きのゴーシュ」(
宮沢賢治)に登場する指揮者のモデルが斎藤秀雄だとする著者の仮説は、その論証の過程も含めて興味深いですね。上京した賢治が斎藤が指揮する新交響楽団の練習風景を見学していたことは間違いないようです。
もう一つ、追記でふれられている事を紹介します。斎藤夫妻には子供がいなかったのですが、実は彼はハンセン病であるという噂があります。妻の秀子氏は結婚をした時点で子供をもつことはできないと覚悟し、懐妊をするたびにおろしてきたと友人に語っています。「らい予防法」がいかに多くの人々を苦しめてきたかと思うと慄然とします。患者の隔離政策について国が全面敗訴し、控訴をしないと小泉軍曹が決断をしたことは(2001)、彼のほんとに数少ない功績ですね。