上り屋敷公園の前には、稲荷の祠がありました。ゴシック体で「稲荷」と書かれた額に、この地域のプラグマティックな雰囲気が感じられますね。ここから西武池袋線の線路にそってジグザグと椎名町に向かいます。帝銀事件の舞台となった帝銀椎名町支店の碑でもないかなと目を凝らして歩きましたが、発見できず。しばらく商店街を歩き、さらに細い路地を歩いていると、屋根の大きな古い住宅を見かけました。壁面を見ると、一階と二階部分がほとんど窓になっています。これはもしや当時のアトリエではないか。確認は出来ませんでしたが、写真にはおさめておきました。
しばらく歩くと熊谷守一美術館に到着です。熊谷守一、1880年岐阜で生まれる。若い頃はこつこつと暗いアカデミックな絵を描いていたが、やがて赤い線で画面を区切り、筆目をそろえて原色を平塗りする画風へと変化します。死ぬまでの四十五年間、ここ豊島の千早に居を構えほとんど外出をせず、絵を描いたり、一日中虫や鳥や樹木を見つめる暮らしを続けました。文化勲章も、これ以上来客が増えるのはいやだといって辞退。競争や名誉や富から徹底的に逃げ隠れ、ひとりで楽しむことを求め続けた人です。彼の味わい深い作品が数十点展示されていますが、猫を描いた作品が一番好きです。建物の前面には、彼が描いた蟻の絵が彫りこんであります。「数年間見続けて分かったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すのですね」という彼の言葉を思い出しました。なおこの美術館でいただける「池袋・椎名町・目白アトリエ村散策マップ」が詳しくていいですね。一休みしてパラパラ見ていると、椎名町駅の南側には、漫画家の聖地トキワ荘跡や、佐伯祐三や中村彝(つね)の旧居跡などがありました。
●熊谷守一美術館
http://www.kumagaimori.jp/