「神聖喜劇」

 「神聖喜劇 第一巻」(大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博 幻冬社)読了。あの超弩級大河小説のマンガ化ですから、読まないわけにはいきません。原作については、私も数年前に読みましたが、正直に言って全体像を捉えることができませんでした。再読する価値は十二分にありと思い、さっそく購入。
 主人公東堂太郎が新兵として対馬要塞に配属された、1942(昭和17)年の三ヶ月間を原稿用紙4700枚で描いた大作です。戦争を批判しながらも無数の兵を見殺しにできず死地におもむくことを決意した彼が、超人的な記憶力と論理的思考を武器に、軍という組織の理不尽さに立ち向かうというストーリーです。よって、どうしても長い科白やモノローグが多く、これをマンガ化(あるいは映画化)するのは至難の業。さあお手並み拝見と読み始めましたが、予想を超える出来でした。オーソドックスなコマ割りでストーリーに遅滞は生じず、長科白の場面には、思い切って全面を文字で埋めつくすことにより上手く処理しています。絵に関しては素朴な趣のある、見やすいものです。丁寧に線を書き込むことによって濃淡や立体感を表現しており、エッチングのような味わいもいいですね。人物の表情は紋切型ですが、時おり東堂が見せる悪魔のような表情は魅力的です。
 冒頭の部分で、軍においては「知りません」と言うことは許されず、必ず「忘れました」と言わなければならない、つまり責任は常に下位の者に押し付けられる(「責任阻却の論理」)とう状況に、いきなり東堂が「質問があります」と挑む場面があり、もうそこからストーリーにひきずりこまれていきます。最近、“空気を読め”と言って理不尽・非論理的な状況を安易に受け入れさせる風潮があるようですが、そういう時にこそ“~でなければならない”(東堂の口癖)と立ち向かう必要があると思います。
 なお巻末の中条省平氏の作品解説は秀逸でした。この大作の全体像を手際よくまとめてくれています。タイトルの「神聖喜劇」とは「ディヴィナ・コンメディア」の直訳であり、これはダンテの「神曲」の原題なのですね。神がつくりあげたドラマ… これを意識して、人間が織りなすドラマを書いたバルザックはその一連の作品を「人間喜劇」と名づけたわけです。

 本日の一枚は、相手の言説の論理的破綻を見つけ、言葉で挑みかかろうとする東堂の表情です。けっこうマンガは読みましたが、こんなデモーニッシュな表情はなかなかお目にかかれません。
c0051620_6131578.jpg
 追記。ある大学生の方による、六ヶ所村についての見事なルポルタージュを見つけました。特に、原子力発電所の最も危険な箇所で働かされる/働かざるをえない末端の労働者へのインタビューは必見。自民党議員、関係する官僚、原燃関係者、そして原発に賛成する方々すべてに是非経験してほしい作業ですね。これは間違いなく、緩慢なる殺人です。わたしたちは、いつまで見て見ぬふりをし続けるのだろう…

●「晴れ、どきどき取材。」 http://ken-ichiro-o.hp.infoseek.co.jp/rupo.htm
by sabasaba13 | 2006-06-13 06:14 | | Comments(0)
<< 「阿弥陀堂だより」 駒沢配水塔(06.6) >>