「戦中派不戦日記」

 「戦中派不戦日記」(山田風太郎 講談社文庫)読了。「啄木 ローマ字日記」の次の厠上本(便所で読む本)でした、山田さん御免なさい。医学生であった作家の山田風太郎氏が、1945(昭和20)年の一年間に書き綴った日記です。驚愕したのは、その分量と読書量! 日によってはちょっとした短編小説くらいの長い日記もあります。そして貪るように読み続けた多くの本。例えば、6月5日(火)『谷間の白百合』(バルザック)、6日(水)『禅と日本文化』(鈴木大拙)、7日(木)『遺伝の研究』(渡辺喜三)、8日(金)『素朴な者』(フローベール)。文学書、哲学書、医学書、和洋を問わないその読書量には鬼気迫るものがあります。これだけの知的好奇心・教養と、神国日本と天皇制の正当性を毫も疑わない心性とのアンバランスに、心底不思議を感じます。小熊英二氏言うところの、戦争体験の質の違いなのでしょうか。狂信的な軍国主義時代以前に人格や思想の形成を終えた者、その最中に形成しつつあった者、生まれた時からその渦中にあった者、出征した者、都市部にいて空襲とその悲惨を経験した者、農村部や地方にいて経験していない者。氏は生れた時から狂信的軍国主義の渦中にいたからなのかもしれません。それにしても割り切れない思いが残ります。今読んでいる「ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義」(大貫美恵子 岩波書店)から、何かつかめるかもしれません。
 そして当時の民衆の暮らしや考えを活写した部分も、たいへん興味深いものです。時には狂信的に、時にはクールに、そしてしたたかに事態に対処し生き延びようとする多くの人々の姿には、歴史を一面的に見てはいけないという思いをさらに強くもちました。ただ当時の人々は、戦争という人災に対して受身であった、あるいは戦争を天災としか捉えられなかったという印象を受けます。もちろん軍国主義への抵抗はほとんど不可能な状況であったでしょうが、少なくとも誰かが起こした人災であるという視点をもっていれば、戦後の、そして今の歴史も違うものになったのではないかと思います。解説で橋本治氏もふれている、東京大空襲(1945.3.10)直後の日記です。
 焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ほんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで「ねえ……また、きっといいこともあるよ。………」と、呟いたのが聞えた。
 「いいこと」は自分たちの力で、みんなと協力してつくりだすものだと銘肝しましょう。次の厠上本は「断腸亭日乗」(永井荷風 岩波文庫)にするか、「夢声戦争日記」(徳川夢声 中公文庫)にするか、迷っているところです。
by sabasaba13 | 2006-06-20 06:15 | | Comments(0)
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