ワールド・カップ雑感

 とりたててサッカーやワールド・カップには興味がありません。ま、あえて言えばルイス・フィーゴの鋭いドリブルと威厳にあふれた中年顔が好きだし、数年前に訪問して楽しませてもらった縁と恩があるので、今回はポルトガルと日本を応援しています。
 というわけで、先日日本が惨敗したブラジル戦もダイジェストでしか見ておりません。しかし、ニュース番組をつけると、必ず応援団諸氏の様子や、試合の解説が怒涛の如く流れ出してくるので、この試合をとりまく雰囲気はだいたいわかりました。そしてざらざらとした違和感を感じると同時に、いたく興味を引かれるいくつかの点を思いつきました。
 自己の過大評価と相手の過小評価。日本の些細な長所を誇張し、ブラジルの数少ない欠点をあげつらい、まるで対等に勝負できるかのように思い込み、思い込ませる。孫子の言葉を引き合いに出すまでもなく、自他の戦力を冷静かつ客観的に分析するのが、勝利への道。こうした言説は分析というよりも、単なる願望です。
 精神力の過度の強調。応援団や日本人が一生懸命応援すれば、まるでその力が選手たちに乗り移り、持ち前以上の能力を発揮できるという思考。声や言葉には不思議な力があるという「言霊信仰」がまだ生きているのかもしれません。
 神の加護。「神風が吹く」という言葉を何回か聞きました。一生懸命に選手がプレーし、みんなが応援すれば、日本を守る神の力で奇蹟が起こるという考えですね。
 常軌を逸した盛り上がり。派手で無遠慮な馬鹿騒ぎをすれば、災いをもたらす鬼や怨霊は逃げていき、神が良き事をもたらしてくれるという文化的伝統=風流(ふりゅう)も感じますね。平安時代の田楽、江戸時代のかぶき者やええじゃないか、など日本の歴史において間歇的に発生する動きです。
 そしてマス・メディアによる偏向した報道。興奮する応援団諸氏を連日取り上げ、まるですべての人がこの試合に関心を持ち日本チームを応援しているかのような錯覚をまきちらしていました。街頭インタビューでも、眼鏡をふきながら「こんな馬鹿騒ぎをしている場合じゃないでしょ」とクールに言い放った人も必ずいたと思うのですが、絶対に放映しないでしょう。「勝ち組/負け組」という深刻な階級分裂や、社会の諸問題から目を背けさせるという意図すら感じます。

 そうです、これは太平洋戦争と同じ構図だとはたと気づきました。日本人の精神構造と知的能力は、当時とほとんど変化がないのですね。もしかすると、あの戦争を支えた人々のメンタリティも、みんなで大騒ぎをして、社会の諸問題を忘れたいという思いだったのかもしれません。

 次の米軍日本師団長に誰がなるかはまだわかりませんが、「ワールド・カップで負けたのは、憲法と教育基本法のせいだ」あるいは「国際テロリストの陰謀だ」などと言い出して、一気に憲法・教育基本法の改正/改悪、共謀罪法案成立を行う可能性はなきにしもあらずですね。けっこう多くの方々がそれを支持するかもしれません。勿論冗談ですが。まさかそこまでこの国に居住する人々は阿…いやわからないな。
by sabasaba13 | 2006-06-29 06:05 | 鶏肋 | Comments(0)
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