「共生の大地」

 「共生の大地 新しい経済がはじまる」(内橋克人 岩波新書381)読了。ひさしぶりに、少し勇気と希望をもらったような気がします。経済評論家である筆者は、現代を企業一元社会、生産活動から流通、雇用、娯楽、教養にいたるまで、人々の生活と社会的機能を企業が担う社会ととらえています。そして旧社会主義圏をも単一の市場経済原理に包含しつつある現在、さまざまな限界や矛盾がふきでています。新自由主義を奉じる人たちは、それを市場経済の未成熟と考えますが、筆者は(そして私も)それを市場経済原理自体がもつ限界や矛盾に由来するととらえます。そしてそうした企業一元社会や市場原理に代わる新しい経済的な試みが、日本や世界各地で始められている、そうした動きを紹介したのが本書です。
 いかに安くではなく、いかに適正かつ公正な価格で買うかを追求するフェア・トレード運動、「生活大国」をめざす下関市、町工場と行政が協力して地域産業の活性化を進める墨田区(私の故郷!)、トラフィック・カーミング(交通鎮静化)に取り組んだデルフトやフライブルク、国連大学と世界の企業が協力して進めているゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)という大規模な研究プロジェクト。人間らしい公正な社会を希求して、これほど多くの試みや営みが行われていることには驚くとともに、感激します。どんなに小さな一歩でもとにかく踏み出して、こうした動きに連帯していきたいと思います。そして市場原理に背馳してでも環境や雇用の問題について真剣に取り組もうとする企業もあるということも知りました。企業が最も怖れるのはわれわれ消費者の動向なのですから、そうした取り組みをしないろくでもない企業をしっかりと見極め、レッド・カードを出して社会から退場してもらいましょう。ボイコットという武器を使うのも、一つの選択肢です。
 しかし日本の場合、企業と一体となって企業一元社会を守ろうとする行政・官僚の厚い壁があります。本書では、いくつかそうした事例があげられており、あらためてその没義道な所業には怒りがわいてきました。二つ紹介します。
 政府が原子力発電を推進する根拠は、二酸化炭素を排出せずに必要な電力量をカバーできるということです。それでは、将来的に必要な電力量はどうやって算出しているのか。実は、通産大臣の諮問機関である「総合エネルギー調査会」の策定する「長期エネルギー需給見通し」によって決められています。しかしこの調査会における発言内容や審議内容は非公開で、その報告書には結論にいたる根拠がいっさいしめされていないそうです。官僚と電力・石油など業界出身の人たちの思惑によって恣意的に決められている可能性が高いですね。よってその需給見通しはつねに過大に見積もられています。忌野清志郎氏が唄っているように「電力は余ってる 要らねえ もう要らねえ」のかもしれません。
 もう一つ。1990年の消費税廃止法案上程時の国会論戦で、野党・社会党は「企業の法人税納付額の実際を明らかにせよ」と政府に要求しました。消費税の代替財源としての法人税に着目し、高いと言われている法人税が、実は優遇措置・特例措置によって基本税率どおり納税している企業はほとんどないという実態を明らかにしようとしたわけです。これに対して大蔵省は「守秘義務により答えられない」の一本ヤリでつっぱねたそうです。
 こうした官僚諸氏を、「企業の奉仕者」から「社会全体の奉仕者」という本来の役目にどうやってひきずりもどすかが、われわれの大きな課題です。
by sabasaba13 | 2006-07-01 07:45 | | Comments(0)
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