「DAYS JAPAN メディアは戦争をどう伝えたか」

 「DAYS JAPAN 8月号 メディアは戦争をどう伝えたか」観了・読了。何回も何回も紹介しておりますが、今世界で起きている現実を写真によって報道し、状況を変える一石になろうという志をもった気鋭の写真月刊誌です。昨今の萎縮した日本のジャーナリズムの中で、天狼星のように孤高に輝く稀有な写真誌、一人でも多くの人に読んでいただきたいな。というわけで、この写真誌を世に広めるための地道な広報活動を勝手に続けたいと思います。
 今、一番気になり憂慮しているのがやはりガザ地区におけるイスラエルの軍事行動です。今月号でも、緊迫する情勢について、二つの記事が掲載されています。ガザの現状をリアルに伝えてくれる写真と文章、ふつうのメディアではなかなか伝えてくれないものです。
 一時はイスラエル軍の撤兵とユダヤ人入植地の撤去で、平和への光明が垣間見えたのですが、対イスラエル強硬派のハマスがパレスチナ評議会選挙で過半数を獲得してから状況が大きく変化しました。イスラエル政府は、ハマスとの軍事的対決に大きく舵を切ったようです。それとともにパレスチナ自治区の一般住民の犠牲者も増え続けています。これは「テロ」撲滅の名を借りた「テロ」行為ではないのか。その根拠となる、「テロ」に関する二つの定義を紹介します。
マーク・セルデンによる定義
 一九四九年のジュネーヴ協定をもとに、私はテロリズムを一般市民および彼ら/彼女らを支える環境に対して暴力ないし威嚇を組織的に使用すること、と定義する。

ロバート・フィスクによる定義
 「テロリズム」はもはやテロリズムを意味しない。これは定義される概念ではなく、政治的な考案品なのだ。「テロリスト」とは、その言葉を使う側に向けて暴力を行使する者のことである。
 そしてイスラエル側は、パレスチナ側には交渉のパートナーはいないと宣言しています。つまり交渉による妥結ではなく、どちらかが完全にギブアップするまで戦い続けるという意思です。嗚呼、日中戦争の際に、近衛文麿首相がだした声明を思い出します。
 国民政府は帝国の真意を解せす漫に抗戦を策し、内民人塗炭の苦しみを察せす、外東亜全局の和平を顧みる所なし。仍て帝国政府は爾後国民政府を対手とせず、帝国の真に提携するに足る新興政府の成立発展を期待し、是と両国国交を調整し更生新支那の建設に協力せんとす。
 ただイスラエルのバックには巨大で無尽蔵の兵器工廠アメリカがついているという点は、明らかに違いますが。記事を書いた臼杵陽氏も言っておられるように、その巨大な軍事力を使い、ヨルダン川西岸・ガザのバンツースタン(南アフリカのアパルトヘイト体制下での黒人居住区)化をめざしているのかもしれません。
 いずれにせよ間違いなく言えるのは、イスラエル人の一般住民と、より多くのパレスチナ人の一般住民が、仮借ない暴力に晒されていることです。それでも国連安全保障理事会は非難決議をイスラエルに対してつきつけないのですね、北朝鮮には出したのに… ついでに言うと、イランや北朝鮮の核兵器開発疑惑に対して、国際世論は大騒ぎするのに、イスラエルが核兵器を所有しているという公然の秘密・周知の事実には口を鎖します。こうしたダブル・スタンダードには、やりきれなさと怒りを覚えます。

 そして耳寄りなお知らせ。この半世紀における絶望と希望を象徴する事件、出来事を伝え、私たちの歴史と記憶を刻んできたフォトジャーナリズムの作品を一堂に集めた展覧会「絶望と希望の半世紀」が開かれます。展示内容は下記の通りです。

 1955~1964 「雑誌がビッグだったころ」
        アンリ・カルティエ=ブレッソン他
 1965~1974 「ベトナム戦争の時代」
        ラリー・バロー、エド・バンデル・エルスケン他
 1975~1984 「ヒーローとアンチヒーロー」
        リチャード・アベドン他
 1985~1994 「新しい世界秩序」
        セバスチャン・サルガド、ウォルフガング・ティルマンス他
 1995~2005 「報道アーティストの出現」
        ジェイムズ・ナクトウェイ、マーティン・パー他

 期間は7月22日(土)~9月10日(日)、場所は東京恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館3階展示室です。見なくちゃ。

●東京都写真美術館 http://www.syabi.com/
by sabasaba13 | 2006-07-20 06:06 | | Comments(0)
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