「流浪 金子光晴エッセイ・コレクション」

 「流浪 金子光晴エッセイ・コレクション」(大庭萱朗編 ちくま文庫)読了。高校生の時に「富士」という彼の詩に出会って以来、氏のファンです。詩人の故茨木のり子氏が、日本の詩歌のアキレス腱は、喜怒哀楽のなかで“怒”を表現する作品が少ないことだと喝破し、その貴重な例外的存在が金子光晴だと指摘されておりました。同感。そして権威や権力にすがらず、どんなに寂しくとも孤塁を守ろうとする姿勢も稀有なものだと思います。
 本書は、彼のエッセイ集から何篇かを抜粋したもので、主に出生から二次大戦直前までの自伝的な作品を取り上げています。以後「反骨」「異端」と続けて出版されるようです、これは楽しみ。その壮絶な人生については、ぜひ本書を読んでもらうとして、日本文化に対する卓抜な批判には舌を巻きます。
 そもそも日本人というものが一人ずつにするとみんな泣虫で、その泣虫をじっとこらえて意地張り、弱味をみせまいと力みかえって生きている。そしてみせかけだけの強さは、権力とか、偶像とか、義理情誼のしがらみとか、すがりつくものがなければ、手もなくがさりとくずれてしまう。
 さらに彼の眼光は、日本を突き抜けて人間へと届きます。戦前の中国を旅して、日本と中国との確執を実感した彼はこう言っています。
 憤りは、兵にたいしてではなかった。軍閥でもなかったし、為政者でも、組織者でもなかった。むしろ、そんな機構にもたれかかっている人間の怠惰の本性と、そういう人間を造りあげた神にむかってである。
 今、わたしたちが果たすべき喫緊の課題は、権威や権力や国家や組織にもたれかかる弱さと怠惰を、どうやって克服するかということだと思います。そういう意味で、忘れられかけているこの詩人を紹介した筑摩書房には深甚の敬意を表します。
 読まれたことがない方のために「富士」を紹介します。読み返すたびにいつも、心の一番奥深い大事なところに針を刺されたような疼痛をおぼえます。今だからこそ、忘れてはならない詩の一つではないでしょうか。
「富士」 金子光晴

重箱のやうに
狭つくるしいこの日本。

すみからすみまでみみつちく
俺達は数へあげられてゐるのだ。

そして、失礼千万にも
俺達を召集しやがるんだ。

戸籍簿よ。早く燃えてしまへ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。

息子よ。
この手のひらにもみこまれてゐろ。

父と母とは、裾野の宿で
一晩ぢゅう、そのことを話した。

裾野の枯れ林をぬらして
小枝をピシピシ折るやうな音を立てて
夜どほし、雨がふってゐた。

息子よ。ずぶぬれになつたお前が
重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら
自失したやうにあるいてゐる。それはどこだ?

どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやつと明ける。

雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
あらひざらした浴衣のやうな
富士。

by sabasaba13 | 2006-09-18 05:55 | | Comments(2)
Commented by 髭彦 at 2006-09-19 00:49 x
はじめまして。
「流浪 金子光晴エッセイ・コレクション」を拝見し、茨木のり子さんを詠った短歌にTBさせていただきました。
よろしければお立ち寄りください。
Commented by sabasaba13 at 2006-09-19 19:55
 こんばんは、素敵な短歌を拝見いたしました。彼女も「怒」を詠った稀有な詩人だと思います。これからもじっくりとつきあっていきたい詩人の一人ですね。
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