テニアン・サイパン編(3):テニアン(06.8)

 翌日も曇り。山ノ神の神通力にも翳りがみえはじめたかな。いやいや気のせい気のせい歳のせい。本日は半日島内観光です。指定された時間にロビーに行くと、ガイドは中国人の若い女性(蘇州出身とのこと)、ドライバーはフィリピン人の屈強な中年男性でした。先住民であるチャモロ人は政府関係の仕事につき、フィリピン、中国、韓国、タイ、ベトナムから来た労働者が観光業やサービス業や軽工業を支えているとのこと。その数は北マリアナ人口の過半数を占めているそうです、納得。なお参加者はわれわれ二人のみでした。
 さてすこしテニアンとサイパンを含む北マリアナ連邦の歴史についてふれておきましょう。もともとチャモロ人が居住して部族国家をつくっていたようですが、1668年以降スペインの植民地とされます。この間、カトリックが普及するとともに伝統文化や技術が廃れていきました。やがてスペインの力は衰え、1898年にはドイツへと売却され、第一次世界大戦でドイツが敗れると日本の委任統治領となります。その後南洋興発という会社(別名、「海の満鉄」)が中心となり、さとうきび栽培と製糖が活発となりました。最盛期には約3万人の日本人が住んでいたのですが、さとうきび栽培に慣れた沖縄人や、日本に併合されていた朝鮮人の労働者も多数いたことも銘記しておきましょう。さて中国の資源と市場を獲得するために満州事変(1931)、そして日中戦争(1937)と侵略戦争を開始した日本は、やがてアメリカと対立し太平洋戦争へと突入します(1941)。短期間に東南アジアと西太平洋地域を席巻した日本軍ですが、アメリカの反攻がはじまると、このサイパンを中心とした諸島を「絶対国防圏」と位置づけ兵力増強を行いました。ここをアメリカに奪われると航続距離5230kmのB(ボーイング)-29による本土空襲が可能となるからですね。そして1944年6月15日、アメリカ軍は上陸作戦を開始、激戦のすえ7月9日にサイパン島占領を宣言します。この間、投降を恥と考えた多くの日本兵と民間人が、スーサイド・クリフ、バンザイ・クリフなどで身を投じました。最終的には、約四万人の日本兵、約一万人の民間人がなくなっています。アメリカ兵の戦死者は約五千人、そして忘れてはいけないのですが約400人の島民が犠牲になっています。反撃のため6月19~20日に行われたマリアナ沖海戦でも、日本軍は惨敗し、航空機約400機を喪失、空母三隻、補給船三隻を撃沈されます。なおこの敗北の責任をとって、東条英機首相が辞任し、小磯国昭・米内光政連立内閣が成立することになります。そして7月24日にアメリカ軍はテニアン島への上陸作戦を開始、8月1日には占領を完了します。日本軍のつくった北飛行場を接収・拡張しハゴイ飛行場としたアメリカ軍は、ここからB-29を発進させ、日本本土への空襲や無差別爆撃を行い、そして広島と長崎に原子爆弾を投下しました。戦後は、国連の信託統治領(施政国はアメリカ)、1986年にアメリカ自治領に移行し現在に至ります。外交と国防はアメリカに依存するということですね。ん? 何だ、日本もアメリカの自治領だったんだ。
by sabasaba13 | 2006-10-12 06:06 | 海外 | Comments(0)
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